み言葉をください!

  • 2018/02/20(火) 19:34:32

先日、スーパーで某食品会社の営業をしているおばちゃんに
「シスター!」と呼び止められた。
そのおばちゃんは、本来の仕事(自社製品のアピール)を熱く語り終えると、
さらに続けて
「シスター、もうひとつお願いがあります」

「み言葉をください!」

どうやら、そのおばちゃんはプロテスタントの信者さんだったらしく、
営業先でシスターに会うと「み言葉」を貰うことにしているのだという。
私は折り紙のシスターに「み言葉」を持たせてばら撒いているが、
自分から「み言葉」を請求する人には初めて会った。

そう来るか・・・。

ならば・・・。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と答えた。

咄嗟に「み言葉」が出てくるかどうかというところで、
シスターとしての資質が試されたようでもあり、
日本では数少ないクリスチャンに街中で会えるという
大きな恵みをいただいたことでもあり、
なかなか貴重な経験をした。

確かに
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」

営業おばちゃんの上に恵みあれ。

バレンタイン準備中

  • 2018/02/12(月) 19:30:00

今年もまたバレンタインデーが近づいてきた。
外で働いていると「義理チョコ」や「友チョコ」が気になる。
しかも私が居る総務課は「総」とつくだけあって、
あらゆる部署の人とお近づきになってしまい、「義理」も「友」も人一倍多い。
「私はシスターなので!」と無視するのもひとつ。
・・・が、今年は手間はかかるけれど懐は痛まない方法を思いついた。

バレンタインシスター2

折り紙シスターに赤いハート(クラフトパンチで制作)を持たせる。

かわいいじゃないか・・・!

かわいいから沢山作ってみよう。
元気の出るようなみ言葉や名言を添えて。

ところで、この季節が来るたびに思う。
私たちの本命(イエス様)はチョコレートを召しあがらない。
でも、もしも今、生身の体を持ってそこにいらっしゃったら、
誰からのどんなチョコレートでもお菓子でもお酒でも、
喜んでおいしく召し上がられるに違いない。

ちなみにこの子たちは食べられないけれど、なんておっしゃるだろうか。

バレンタインシスター

世界病者の日

  • 2018/02/11(日) 11:17:43

今日はカトリック教会では世界病者の日。

ルルドに聖母がご出現になった記念の日でもある。

今年は日曜日にあたり、ガラシア病院でミサがある日。

たまたま当番に当たっていたので、奉仕してきた。


病院ではミサの前に、聖堂に来られない患者さんのところに

神父さまが「御聖体」を届けにいらっしゃる。

奉仕者が一緒についてゆくのだが、

季節がらか今日はたくさんの信者さんが病室で待っていらした。


ふと自分が足を怪我してミサに行かれなかった時のことを思い出す。

その時は院長のシスターが「御聖体」を授けてくださった。

いつもは自分が拝領の列に並んで頂きに行くけれど、

私が歩けない時にはイエス様の方から来てくださるのかと、

とても感動して泣いてしまった。


今日、ある方はベッドの上から神父様の姿を見て、

ぱっちりと目を開き、しっかりとした声でうれしそうに

「主の祈り」を唱え、「御聖体」を受けられた。

信仰を持たない人にとっては小さなウエハースに過ぎない。

けれども信仰の目で見ると、大きな助けや慰めが与えられる。


御聖体のイエス様は、一人ひとりに特別なメッセージを送ってくださっている。

ピーマン的な・・・???

  • 2018/01/24(水) 20:00:28

友人に「キリスト教入門講座」を紹介した。
ついでに自分も聴講してきた。
神父さまの話はテンポが良く、分かりやすくて、
びっくりするほど引き出しが豊かで心に響く。

その中に故渡辺和子シスターの講演の分かち合いがあった。
渡辺シスターは開口一番
「私はピーマンが嫌いです」とおっしゃったのだという。
「私はピーマンが嫌いです。
でも、ピーマンの栄養価の高さや、緑の色の美しさ、
値段の安さなどは認めないわけにいきません。」

何が言いたいのか。

「私にもピーマン的な人が居ます」

さすが・・・。

多くの人は嫌いな人の良いところを認めようとしない。
仲良しの友人がすれば称賛するようなことを
嫌いな人がしたら「それがどうした」とか「何か下心があるんでしょ」などと、
ネガティブにとらえがち。

でも、どんなに嫌いな人でも良いところは良いと認めることが
「愛し、赦す」ことの一歩であろう。
「愛」は好き嫌いを超えたところにある。
以前、ある大先輩のシスターが
「嫌いな人でも愛することは出来ます」とおっしゃった。
「愛する」とは「大切にする」こと。
嫌いな人でも大切にすることは出来る。
実行するのは、口で言うほど簡単では無いけれど。

特別な時

  • 2018/01/21(日) 21:57:54

一日黙想会では、翌日のミサで読む聖書を味わい、分かち合いをしている。
今回はマルコによる福音書1章15節~20節。
イエスの公生活最初のことば+四人の漁師を弟子にする箇所。

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」

以前、聖書には「時」をあらわす言葉にふたつあると聞いたことがある。
ギリシャ語の「カイロス」と「クロノス」
クロノスは「年、月、時、分」と言った物理的な時間。
カイロスは運命的で特別な瞬間をあらわす。
「時は満ち」の時はカイロスに違いなく、少し前に流行った言葉で言えば
「今でしょ」と表現されるような「時」

四人の漁師は「今、この時」イエスに呼ばれた。
「今、呼ばれた。今、応えよう。」と、仕事や家族を捨ててイエスの弟子となる。
「今」躊躇してしまったら、恐らく「次」は来ない。
チャンスに乗るためには「運を天に任せ」て、飛び込まなければならない。

「神様は決して悪いようにはなさらないから」
・・・と自分に言い聞かせて、呼びかけに応えたあの「時」を、
ふと思い出した。