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連休

  • 2022/03/21(月) 11:55:31

この度の三連休、久しぶりにDVDを鑑賞した。
談話室に皆で集まり
「イエスと二人のマリア」を視聴。
もう10年前の作品だけど初めて見るシスターが多かったので、
良い時間を過ごせたと思う。
(3時間以上かかる長編のため、途中リタイアした人も居た)

この映画では聖母マリアとマグダラのマリアが幼馴染という少々強引な設定で、
2人の対照的な生き様が描かれる。
不幸な事件をキッカケにどんどん堕ちていくマグダラのマリア。
一方の聖母マリアはどこまでも信仰を失わず前向きに生きて行く。
その聖母を支える夫ヨゼフとの夫婦愛も素晴らしい。

陰謀に巻き込まれ、人に利用され、
傷ついて自暴自棄になったマグダラのマリアがイエスによって愛を知り、
回心に至る姿は説得力があり、
母として息子を気遣い、苦悩する聖母マリアも
「きっとこんなだったのだろうなあ」と思わせるものがあった。

聖書は淡々と記されているので、
時として「行間を読む」センスが必要だが、
この作品は聖書が語らない部分を黙想するヒントとして、
非常に良く出来ている。
四旬節の今、見て良かったとしみじみ思った。
涙無しには見られない感動の大作。

今ありて幸せ

  • 2022/03/13(日) 17:19:45

どこかでこんな言葉を聞いたことがある。
若い頃は、日々与えられていることの有難さがよく分っていなかった。
私の両親は戦争を知っている世代だ。
母は時折
「戦争直後は物が無くて大変だった。
あんたたちは幸せなのだから、もっと感謝しなくてはね」と言っていたが、
子どもの私には、さっぱり理解できなかった。
物が無いこと、戦時中であることを想像することが出来なかったのだ。

今、大きな感染症に見舞われ、日々戦争のニュースを見、
戦時下にある人々の生の声を聞くことが出来るメディアに囲まれて、
母の言葉の意味が分かってきた。
年度末の様々な業務をストレスに感じる今、
これが実はとてもありがたい状況なのだと。
少なくとも健康で、衣食住の苦労も無く、仕事も与えられている。
自然災害や敵国の攻撃で家族や住居、生活の基盤を失う苦しみや、
心細さを考えると、安全な環境に居る自分が申し訳ない。
今、与えられている人、物、環境、すべてに感謝しなくてはと思う。

私たちにできることは・・・

  • 2022/02/26(土) 20:30:12

この数日、ニュースは「ロシアのウクライナ侵攻」で埋め尽くされている。
今日は世界中で行われている反戦デモのニュースを見た。
日本に住むロシアの方が
「私たちは戦争を望んでなどいません」とデモに参加されている姿が心に響いた。
様々な場所で民族を越えて、反戦デモに集う方々を見て涙が出た。
ロシア国内で反戦活動に参加した方の中には拘束された方も多いという。
命がけで行動する勇気には尊敬しかない。

別の動画で社会的に排除され、差別されてきた病者に
「私たちに何か出来ることはありますか」と、問いかける少女を見た。
問われた方は
「このことを伝えて欲しい。忘れられないようにして欲しい」と答えていた。

今、平和を取り戻すために私も問う。
「私たちに何か出来ることはありますか・・・?」

とりあえず祈ることはすぐに出来る。
多くの人の平和への願いが叶うように。
家族や友人を失って悲しむ人が無いように。

昔、流行ったカルチャークラブの「戦争の歌」を思い出した。
イギリスのグループなので歌詞は英語だけれど、
終りの方に日本語で「戦争反対」という部分がある。
久々に聴いてみたくなった。

世界病者の日

  • 2022/02/11(金) 20:55:07

今日はルルドの聖母の記念日。
世界病者の日でもある。
新型コロナ感染予防のため、
今年もガラシア病院の祈りの集いは中止。
修道院の聖堂でシスター達だけでお祈りをした。
・・・が、今ほど多くの人がルルドの聖母の取り次ぎを願ったことは無いと思う。
「新型コロナウイルスに苦しむ世界のための祈り」から始まり、
ロザリオを捧げた。

今日は祝日で仕事は休みだったので、
古い手紙の整理をした。
自分が年を重ねた分、友人達も年をとっている。
年長のシスターや友人からの手紙には
「数か月入院していました」とか
「実はもう少しで天国に行く所でした」とか
「お見舞いに来てくれてありがとう」などというものが多い。
そういえばコロナが無かった頃は、
勤務後にたびたび入院中のシスターを見舞っていた。

ふと病床の母のもとに毎日通っていた20年前を思い出した。
あんなに真剣に祈ったことはなかった。
それこそルルドの水をいただいたり、
メダイをかたどったキャンディーをいただいたりもした。
結局、母は天国に行ってしまったが、
私は周囲の人々の祈りや心遣いという宝物を受け取った。

感染予防のために面会が制限されている今、
患者さんたちは寂しい思いをされているだろう。
思うように見舞えないご家族やご友人も寂しいことだろう。
ルルドの聖母が全ての病者とそのご家族、ご友人に
必要な慰めと助けを取り次いで下さいますように。

無事・・・

  • 2022/01/25(火) 20:51:40

この頃「無事」ということがとても貴重に思えてきた。
一日の終わりに「今日も健康に生きていた」ことを確認し、
朝、目覚めた時に「温かな布団の中に居る」ことに感謝する。

日々、新型コロナの感染が拡大してゆく中、
今日まで感染せずに居ることは奇跡だと思うようになった。
世界中で大きな災害が起こっていること、
紛争などで安全が脅かされている方がたくさんいらっしゃることを考えると、
安全な建物の中で目覚めることも、実はとても貴重でありがたいことだと思う。
一方で困難な状況にある方々に申し訳ないとも思う。

「無事」という言葉がある。
「事が無い」というと何となくつまらないような気がしていたのだが、
何事も無い平穏な日々が、実はとても恵まれているということを
噛み締める今日この頃。

明日も無事でありますように。

親心

  • 2022/01/16(日) 11:57:32

少し前に黙想会の分かち合いをした。
黙想会は一年の間に4~回あって、そのうちのどれかに参加する。
毎回指導者は違うし、一人ひとり違う恵みを頂いてくるから、
分かち合えば恵みは倍増する。
私も5ヶ月前の黙想会のノートを出してみた。

何度も読んだ聖書の箇所でも、時に新たな発見がある。
今年の発見は「必死の親心」
12歳のイエスが神殿に留まって、両親を心配させた場面だ。
エルサレム巡礼の後、イエスの両親は息子が居ないことに気づかず帰路につく。
三日も経ってから「イエスが居ない!」と気づいて引き返す。
そしてエルサレムの神殿で律法学者たちの中に居るイエスを見つけるのだ。
母は「どうしてこんなことをしたの。私もお父さんも心配したのよ」と言う。
ところがイエスは「どうして探したの。僕が「父の家」に居るのは当たり前なのに」と答える。

正直この話は好きじゃなかった。
「生意気な少年と叱る母」というイメージだったからだ。
・・・が、両親の立場を考えた時、違うものが見えてきた。
三日間、息子を探し続けた両親はどんな気持ちだったのだろうかと。
「無事で居るだろうか」という不安。
「どうしてもっと早く気づかなかったのか」という自責の念。
「早く見つかって」という焦り。
次々と押し寄せる想いに胸が潰れそうな長い長い三日間。
食事は喉を通らず、夜も眠れない・・・どころか
寝食の間も惜しんで探し回ったに違いない。
神殿の中で息子を見つけた時はどんなに安心したことか。

母マリアは緊張の糸が切れて泣いたのではないだろうか。
その安堵感が「どうしてこんなことをしたの」という
感情的な言葉になったのかもしれない。
必死に自分を探し回っていた両親の姿を見て、
少年イエスは自分がどんなに大切に思われていたか実感したと思う。
この体験が
「迷子の羊を探す羊飼い」や
「放蕩息子」のたとえ話になったのではないか。
子どものために必死になる親。
失った子が見つかれば心から喜ぶ親。
天の父なる神もそのような存在であると。