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私にとっての修道召命/Sr.ラファエラ

  • 2020/08/29(土) 14:28:13

「私を何かに例えるなら“小さな石ころ”」私は自分のことをそう思っている。
それは、ある神父様から聞いた講話がきっかけ。
主イエスが40日間の荒れ野での生活で空腹を覚えられた時、
誘惑する者が近づいてきて
「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」と言った。
この石は期待に胸を膨らませた。
(今こそ石である私がイエスの空腹を満たせるパンになれる!)と。
しかし、イエスはお答えになった。
「人はパンだけで生きるものではない」
お馴染みの聖書の一説だが、
石の気持ちに焦点があてられた解説に新鮮な驚きを覚えた。
そして、その神父様はこのように話しを締めくくられた。
「こうして石は石のままであることで主に栄光を期しました」と。

初誓願の日からあっという間に21年が経って、
小さな石ころの私は
(主の空腹を満たせるパンにはなれないけれど、
何かしら主のために役に立てるものになりたい・・・)
と思い煩っていたことに気がついた。
(何かのしるしにどこかに置いてもらうとか?
地面に字を書く道具とか?ペーパーホルダーとか?)
そんなことを考える私に主は優しく語りかけてくださる。
「この小さな石ころのいいところはね、
わたしの手の中にすっぽり納まるってとこなんだよ。
いつもどこでもわたしと共にいるんだ」と。
ついつい何かの役に立つことばかりを考えてしまう私だけれど、
主の手の中で守られて温められて、
その主のぬくもりを伝える者になる。
そのような者として私は神に造られ、
そのような者の幸せを生きるようにと神に奉献生活へ招き入れられた。

光

全てのものの造り主である神は賛美されますように!

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  • 2020/08/30(日) 14:59:37
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