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地球の裏側でも
- 2013/08/16(金) 21:18:46
12時間遅れで8月15日がやってきた。
終戦記念日で聖母被昇天の祭日で我が家の創立記念日。
ブラジルで日本の終戦記念日は大した話題にならないし、
被昇天の祭日は18日(日)に祝うらしい(祭日は日曜日にずらすらしい)けれど、
創立記念日は変わらない。
なのでしきたり(?)通り、聖堂には空き缶に草花を活け、
前夜の食事は雑炊を食べた。
(創立時代の貧しさを忘れないため)
この雑炊が思い切りブラジル風味で、
豆の入った赤いスープにパサパサの米。
これはこれで良かったと思う。
当日はお祝いだから料理上手なシスターが腕をふるった。
海苔巻、てんぷら、そうめん、ふくれ饅頭。
海苔やそうめん、あんこは日本からのお土産を温存していたもの。
それ以外の材料は現地調達可。
海苔巻の中味は卵とキュウリとカニかまぼこ。
卵とキュウリはともかく、カニかまが売られているのは意外だけれど、
日系人の多い土地柄か日本のものも結構あるのだ。
インスタントラーメンだってスーパーにいっぱい並んでいる。
(ただし味はトマト、フェジョン、肉など)
ふくれ饅頭は創立者の好物。
長崎の信者達がお祝い日に作るらしい。
(長崎でも地域差があるようだけど)
ブラジルの共同体には長崎出身者が二人も居るので、
立派なふくれ饅頭を頂くことが出来た。
すごいのは饅頭の下に敷く木の葉。
饅頭の下にこれが無いと蒸した後が大変だ。
大きさが合えば何でも良いというわけじゃない。
熱に耐えられるものでなければならない。
今回使われたのはなんとバナナの葉!
さすがブラジル。
そして全く違和感が無かった。
我らが料理長すごすぎる!!!
(ふくれ饅頭のことは以前も書いています⇒http://josephosaka.blog111.fc2.com/blog-entry-386.html)
こちらは創立記念日の飾り付けをした聖堂の様子。
残念ながら草花は夜になったらしぼんでしまった。
Sr.ぱうろ
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この記事に対するコメント
創立当時をわすれないとは、すばらしいですね、わたしたちも、s20ねんをわすれないで、いまのへいわが、とうとい、ぎせいのうえに、あることをしり、へいわをたいせつに、しなければと、いのります、ひばくしやのかたのねがいをわすれないことですよね
ブラジルでの終戦記念日&創立記念日・・・
ヨゼフ会の創立は、終戦後まもなくだったと、お聞きしたことがあるのですが、初期のシスター方のご苦労は民大抵ではなかったのでしょうね。
学生志願者として、希望を胸に長崎からいらした方が、志願者の部屋に通されたとき・・・その部屋の照明は、裸電球だけだったそうで、ホームシックになられたと聞いたことか・・・修道院だけでなく、世の中みんなが大変な時代だったのですが・・・25年ほど前でしょうか。同じ年頃の職場の方たちとの会話です。「豊になったと親からいわれて育ったけど、幼いころは、今ほどゆたかではなかったよね。いつからだろうね。豊になったのは? 万博景気からかなあ」 その背後にある問題、そして、豊かさと引き換えに失ってしまったものの大きさに、驚愕したものです。私達もせめて1年に一度、立ち止まり振り返る日が必要ですね。終戦の日、よくテレビで「すいとん」の炊き出しをしてて、子供たちが「おいしい」と言っているのですが・・昭和一桁の両親は、「あれは、すいとんじゃない。お出汁も醤油も、お肉もはいっていなかった。お塩がかろうじて入ってたかなあ」 「イモはツルまで食べるのが当たり前だった」
今の子供たちとその親(私達)に、あの時代のすいとんを食べさせてもらわなくては・・・指示していただければ、調理しましょう。だって、「先生」がいなくては、再現できないのですもの。オイ、娘!後期のお昼はふかしイモでもいかがかしら。ただし、放課後の外食は禁止です。
Re: 地車さま テレジアさま
創立当時を知る姉妹も高齢で年々少なくなってゆくので、今は「忘れない」というよりも「考える」と言った方が正しいかもしれません。見ると聞くとは大違いの(厳しい)生活の中でも、修道生活を選びとった先輩方の情熱を思うと心が燃えますね。