所変わっても・・・

  • 2013/07/04(木) 04:18:25

カトリックが誇る世界共通のミサ。
言葉や時間が違っても毎日のミサは同じ。
それをここに来てから実感している。
同じ日に同じ聖書を読み、
同じ聖人を記念する。
ミサの式次第は同じだから、
言葉が分からなくても今何をしているのか大体わかる。

言葉以外に違うのは開始時間。
ここではミサは大抵夕方。
下の写真はミサ後の様子。
私たちの所属教会はまだ建築途中なので、壁はコンクリートがむき出し。
資金の都合で何年もかかっているという。
クリスト・ジョーベン

この教会では毎週火曜日に聖母の信心がある。
右の青い矢印の所には聖母像があり、ミサ後も信心深い家族が祈っている。
左の赤い矢印のテーブルにはたくさんのペットボトルがあった。
聖母の信心の時に水を祝福して貰えるので、
信者さんたちが水を入れたペットボトルを持ってくる。
手前のお母さんも祝福された水を持ち帰るところ。

水のみならず私たちも聖水で祝福される。
それがもう大サービスで、
びしゃっ!とかけられるのだ。
わざわざ司祭の近くに行って、
大量の聖水を浴びる子どもも居る。

そしてこちらでは平和の挨拶が情熱的。
最低でも握手。
時にはハグが加わる。
子どもたちはわざわざ席を立って抱きつきに来るので、
どうしようもなく可愛らしい。

こういう言葉以外の印があるところが、
カトリックの良いところだ。
言葉だけでは外国人にはありがたさが分からない。
実際、説教は毎日あり、
パードレ(司祭)が何やら情熱的に語っていらっしゃるのだが、
一部の単語しか理解できない私には、
さっぱり意味不明。
でも平和の挨拶は様子でわかるし、
ご聖体は目で見て触れて口に入れられる。
ありがたきかな。

Sr.ぱうろ

この記事に対するコメント

巡礼旅行でヨーロッパへ行ったとき、巡礼団のミサ(日本語)以外に、自由時間を利用して、現地の教会のミサにあずかる機会がありました。もちろん言葉は分からなかったけれど、ミサの式次第は共通しているので、その時は本当にカトリックのありがたさを感じました。そして、聖歌もその国の言葉で歌われており、日本とはまた違ったメロディーだったので(知らない歌だったので、歌えなかったけれど)充分楽しめました。

聖水のエピソードを読んで思ったのですが、日本でもお寺でお線香の煙を体にかけたりすることがありますが、宗教が違っても人間って考えることは似ていますね。先ほどの巡礼旅行で街角にマリア像が置いてあったのを見たとき、私は日本のお地蔵さんを思い出しました。

私の所属教会では、英語と日本語のバイリンガル・ミサが行われるときがありますが、そのときの平和の挨拶は、自分の周りが外国人の場合は握手をし、日本人の場合は普通にお辞儀をします。巡礼旅行時の現地のミサの平和の挨拶は、やはり握手でした。親しい人どうしだとハグしたり、頬にキスしたりでした。
日本人は日常的に抱き合ったりキスしたりする習慣が無いので、こういう習慣が羨ましくもあり、恥ずかしくもあり・・・です。
でも、私は日本人のお辞儀をする習慣は素晴らしいと思っています(聖堂への出入り時に、一礼するのは日本人だけなのでしょうか?カトリック教会では、日本人は十字を切った後、私も含めて大抵の人が一礼しますよね)。

聖堂の壁のコンクリートむき出し状態は、日本の某有名建築家の設計した建物みたいですが、あまり違和感を感じませんね。

  • 投稿者: くらら
  • 2013/07/06(土) 06:26:27
  • [編集]

ことばは、ちがっても、いのりは、おなじ、みさの、すばらしさを、かんじますね、がいこくには、いっこことないけど、わかります、ありがとう、

  • 投稿者: 地車
  • 2013/07/07(日) 10:27:38
  • [編集]

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する