キリストの体

  • 2012/01/11(水) 21:00:29

今年度のひそかなMyテーマ。
「教会の中高生たちに『キリストの体』を語る…」は、
年が明けても継続している。

去年はパウロの手紙から入ったが、
「キリストの体」を頂くミサについても、
しっかり話さねばなるまい。
どこから入るか。
ふと堅信の時に司教様(横浜教区の)に聴いたお話を思い出した。

ミサの前に私たちは自分の分のホスチアを
チボリウムに入れておく。
そのホスチアは司祭の祈りによって聖変化し、
「キリストの体」となり、再び私たちに配られる。

しかし実際に自分の手元に配られるものは、
誰がチボリウムに入れたものか分からない。
自分が入れたホスチアも、
誰の体に入るのか分からない。
誰かが自分のために、自分も誰かのために…。
私たちはお互いに養い合っている…というようなお話だった。

もうひとつ思い出したのは、
はるか昔、まだ修道会に入る前に与った聖公会の聖餐式。
拝領の際に司祭は
あなたのために渡されたキリストの体」
と言って、キリストの体となったホスチアを信徒に与えていた。
「あなたのために」という言葉は、
直接ひとりひとりに刺さってくるから、
ぐっ!と来る。
そんなにも愛されていたのだと強烈に感じる。

…さて…どこから話そう…。

Sr.ぱうろ

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