- | HOME |
お茶のおけいこ
- 2009/07/11(土) 08:45:23
突然空き時間が出来たので、志願者のお茶のお稽古を見学した。
表千家のシスターが教えて下さっている。
私が入会前に習っていたのは裏千家。
やはり少しづつ作法が違っていて興味深い。
たたみに座ってお点前を眺め、お茶を頂く。
わずかの時間とはいえ、気持ちが静かになり、一点に集中する。
お茶は作法のみならず、心のあり方を教える時間。
私がお世話になっていた先生は、それはそれは厳しかった。
でも、そのおかげで身についたことが沢山ある。
無駄なく美しい立ち居振る舞い、同席する人に対する配慮、その場に応じた機転。
残念ながら茶席を離れるとうっかりすることが多いのだが、
今でも茶席に座れば自然と教わった作法通りに体が動くから不思議。
良薬は口に苦し。
厳しいけれど素晴らしい先生だったと思う。
ところで茶道の作法は、実はカトリックのミサの影響を受けているという説がある。
確かにお茶碗を清めたりする動作は、司祭がカリスを拭く姿に似ている。
その上、千利休には高山右近をはじめとする切支丹の弟子が何人も居た。
詳しいことは分からないが、心惹かれる歴史ミステリーだ。
Sr.ぱうろ
この記事にコメントする
- | HOME |
この記事に対するコメント
私も、お茶の作法はミサの由来があると、聞きました。
拭く作法、お茶を順に飲みまわす?作法等・・・・・・・・・。
静かな、心の静まる時間が欲しいです。
親戚に不幸があり、仕事を休むことに、午前中は時間があったので、久しぶりに礼拝に行きました。
半年以上ぶりです。
まるで我が家に帰った、そんな気持ちがしました。
良いものですね。
帰るところがあるのは。
日常にまぎれてしまうと、教会はウザイ所になったり。
離れてみて、良さがわかるのだと、思いました。
Re: マリアひでママさま
久し振りの礼拝は里帰りの気分だったのですね。
私にとっての茶席もそんな感じでした。
確かに日々の生活の中にあるものは時々うっとうしくなったり、惰性になったりしてしまいますね。
たまにいつもと違う場所でのミサに与ると妙に感動します。
お茶室の、あの凛とした空気いいですね。
娘時代、裏千家でお稽古をしていましたが、
私もお点前は、ミサに由来していると聞いたことがあります。
お茶の先生や、日本人のある神父さんから・・・
普段、決して姿勢のよくない私ですが、お茶室では不思議に
シャキッとしていたのですよ。
Re: テレジアさま
私も普段は大して姿勢良くないです。
でもやっぱり茶室に入ると不思議と背筋が伸びてる感じでした。
不思議な茶室マジックですね。