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主の祈り再発見 その2
- 2009/07/04(土) 09:00:03
主の祈りは「天におられる私たちの父よ」で始まる。
この「父よ」はもともとのヘブライ語では「アッバ」
子供が使う言葉。
現代の日本語にしたら
「パパ」とか「父ちゃん」とかいったニュアンスだろうか。
偉大で厳しい「父上」や高貴な「お父様」ではなく、
身近で優しくて何でも話せるような我が家の父親的神様像。
そんな、相談しやすくて頼りになる神様の呼び方を考えてみよう。
・・・という課題を出してみた。
神様は全能だから父親をあらわす言葉に縛られる必要はない。
お母さんだって構わない。
親のイメージにこだわる必要もないのかもしれない。
結果、本人しか分からないんだろうなあというのも含めて、
様々な呼び方が飛び出した。
やはり、お父さん又はおじいさんのイメージが多かったけれど、
この作業によってこんな発見をした生徒が居る。
「神様って厳しいイメージであまり好きじゃなかったけど、
呼び方を変えてみたら、ずいぶん印象が変わって身近に感じられるようになった。」
「主の祈り」が伝えようとしたのは、まさにこのこと。
神は特別な修行をした人だけの神ではない。
無学な普通の人々のそばにもいらっしゃって、
ささやかな願いにも耳を傾けて下さる方なのだ。
だから、「お父ちゃん」と呼びかけて良いんだよ。
それがイエスの教え。
Sr.ぱうろ
- 祈
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この記事に対するコメント
主の祈り!
前回の主の祈りの回も勉強になりました。
昔はまるで丸暗記ものを唱えるようだったけど、最近は一句一句心込めて味わいながら唱えてるつもりでした。
だから、前回の時はブログ読みながら「本当だ本当だ」と頷き感心しました。
今回は私は◎です。いつも親しみを込めて「父よ」です。
私は父親っ子だったし、よく学校から帰っては自営業だった父親に話をしてました。
だからそんなイメージです。
イエス様が身近にしてくれるまで、神様って怖かったのかな~?
神の国の港に帰る日は近し、と句を読んだ友人がいます。神様をお父ちゃんのように思っていたのでしょうか。
親しみをもって主の祈りを唱えることができたら、
一日に一度は祈りたいと日々思うだけの信者です。
今年に入って、祈りが大切だと思いました。
また、人間の力のなさも、思い知らされました。
そして、人の温かさもしりました。
感謝です。
Re: ルカ智子さま
神様・・・怖かったみたいですよ。
イエス様が「父よ」と呼んだことは革命的なできごとで、保守的な祭司や学者の方々には 「冒涜」と見えたようです。
その頃の神様イメージは厳格だったので、一般の人には近づき難かったでしょうね。
Re: マリアひでママ 様
親しみを持って主の祈りを唱える・・・って、すごいことですよね。
私は毎日最低3回は主の祈りを唱えていますが、心をこめて、親しみを持って・・・って、毎回実行するのは難しいです。
生徒への説明を考えたおかげで、やっと少し悟らせて頂きました。