主の祈り再発見

  • 2009/06/25(木) 09:30:35

授業で「祈り」の話をしようと思い、
ここしばらく「主の祈り」を射祷のように繰り返していた。

「天におられる私たちの父よ・・・天におられる私たちの父よ・・・」

もう数限りなく唱えてきている主の祈りだけれど、
じっくり味わうと意外な発見がある。
「主の祈り」は一人称複数形。
だから自分ひとりのための祈りではない。
どの部分をとっても「私たちの、私たちを」と言う。
もしここから「たち」を取ったら、全く別のものになってしまう。

「天におられる私の父よ」と言えば、
亡くなった自分の父親に語りかけているように聞こえる。
「私の日ごとの糧を今日もお与えください」と言うと、
私だけが食べられれば良いみたいだ。
「私の罪をお赦し下さい。私も人を赦します。」
赦し、赦されるのが自分だけでは、世界の平和は遠いだろう。

「主の祈り」はすべての人の幸福を願うために作られているのかもしれない。
「私たち」の中に身内や親しい人だけではなく、
遠くで苦しんでいる人や苦手な人まで入れられるのなら、
その人の中には確かに「御国」が来ると思う。

Sr.ぱうろ

この記事に対するコメント

主の祈り

私は文語の祈りで育ち(?)ましたが、
『我ら』が殆どで『我』はあまりないですよね。(一部、我の願い~・我の罪~、というのはあるけれど)
主の祈りってピースフルな祈りではないですか。
自分を含めたすべての人の平安を自分が願うことができ…。また、それは私たちがそう願う人であってほしいという主の願いと愛が込められていると、教わりました。
…なので、仕事で腹の立つことがあった終業後の御ミサで主の祈りを唱えることは、俗な私にはかなり骨が折れます(苦笑)

  • 投稿者: ひなた
  • 2009/06/28(日) 07:21:11
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Re: 主の祈り

主の祈りはピースフル・・・確かにそうなんですね。
私も教えようと思ってはじめて気が付きました。
それはとても素晴らしいことなのですが、
「私たちも人を赦します」というフレーズは、誰かに腹を立てている時は唱えにくいですねえ。(笑)
聖書には「怒っているうちに日が沈むことのないように・・・」という言葉もありますが、修行の足りない私には難しいことです。
(^^;

  • 投稿者: Sr.ぱうろ
  • 2009/06/28(日) 20:02:10
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