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お見送り

  • 2018/08/31(金) 21:13:42

昨日の朝、ホスピスに入院していた一人のシスターが旅立った。
二週間前に修道名の祝日を迎え、三日前には誕生日を迎え、
旅立ちの日は初誓願の記念日だったという。

思えば二週間前、まさにシスターのお祝い日に
「危篤」の知らせを受けて、私たちは緊張した一夜を過ごした。
その危機は乗り越えたものの、決して安心出来る状態ではなかったので、
入れ替わり立ち替わり、姉妹たちが病室を訪れて「その時」に備えた。
私も勤務の休み時間や仕事上がりに毎日様子を見に行った。

時々問いかけにうなづいたり「ありがとう」と応えてくれることもあったけれど、
たいていは苦し気な息使いで眠っていた。
その様子は見ている方も辛かったが、ある時ふと
「シスターは今戦っていらっしゃるのだ」と思った。
また「キリストの十字架に与る」というのは、こういうことなのか・・・とも。
逃げたくても逃げられない。
我慢できなくても忍耐しなければならない。
他の人にはシスターの代わりに息をしたり、苦しみを分け持つことはできないのだ。
私はただただ、シスターの苦しみが和らぐように祈り、
冷たい手を握りながら顔を眺めるくらいしかできなかった。

そしてついに「その時」が来たのである。
けれども、息が止まり、
シスターの正装に着替えて横たわるシスターの姿を見たとき、
「寂しい」と思った。
早くこの苦しみから解放されますように・・・と祈っていたのに、
いざ見送る時が来たら寂しいのだ。

風邪をひいたときには卵酒を作ってくださった。
終生誓願のお祝いにと「ひさし(ベールの下につけるもの)」を縫ってくださった。
一緒に台所に立ったこともあるし、手作りのデザートをごちそうになったこともある。
さまざまな思い出がこみ上げてきて、葬儀の最後の歌は歌えなくなってしまった。

小さな体で病の日々を戦い抜いたシスターは、
今頃天国で勝利の冠を頂いていらっしゃることだろう。

天使の歌声・・・?

  • 2018/08/12(日) 17:03:53

現在、ガラシア会の職員駐車場は、いくつかに分散している。
そのうちのひとつが、修道院の畑の奥にある。
ここに行くためには修道院の前を通らなければならない。
通勤時間によっては、それがお祈りの時間と重なる。

先日、ある職員の方から
「修道院の前を通ったら、きれいな歌声が聞こえてきて、
歌詞はよく分からなかったけれど癒されました。」
と言われた。

「教会の祈り」は基本的に歌っているので、
それが外に漏れ聞こえたのだろう。

それは良かった。

不思議なことに、外に聞こえてくる歌声は美しい。
中で一緒に歌っていると、時ならぬハモりや、
輪唱が発生しているのだけれど・・・。

高齢のため高い音が出せなくなっている姉妹や、
耳が遠くてオルガンに合わせきれない姉妹が増えた。
音を外したりテンポが速すぎたり遅すぎたりすることは日常茶飯時。
にもかかわらず、
外から聞く人に喜びを与えているならありがたい。

神様はなんでも良いことに使って下さる。

誰に見える?

  • 2018/08/04(土) 14:52:47

この格好(シスターの服とベール)で外へ行くと、
ときどき面白いリアクションに会う。
もうずいぶん前、小学校低学年の男の子に
「魔法使い?」と聞かれたことがある。

あるシスターは中学の新入生に
「(あなたのことは)何て呼んだらいいですか?マリア様?」
と聞かれて喜んでいた。
そうかと思うと黒づくめの服を見て
「近づいちゃ駄目よ」と怖がられたり、
幼稚園児に泣かれたシスターも居るらしい。

昨日、買い物をしていたら、
小学生くらいの男の子に
「マリア様のところの人?」
「お祈りをする人?」と聞かれた。

お祈りをする人!

シスターを知らない人が圧倒的に多い日本で、
シスターをよく知らないのに何をする人か理解している子が居ることに感動した。
そう、私たちはお祈りをする人。
毎日のつとめなので、時にマンネリ化している時もあるけれど、
心をこめてお祈りしなければ。

お祈りだけはいつでもどんな状況でも出来る。
病気や怪我で動けない時も、お迎え間近な時も、
シスターは死ぬまで・・・と言わず、死後も祈り続けている。(多分)