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いつの間にか・・・
- 2017/10/26(木) 21:34:06
ぼんやりしている間に10月も終わろうとしている。
今月は怒涛のようだった。
ロザリオの月だからガラシア病院でもロザリオの集いがあり、
玄関ロビーの聖母像の前で祈りがささげられた。
その後もカテドラルでの「国際協力の日」や、
ガラシア祭りやらのイベントが目白押し。
ガラシア祭りの日は台風の影響で大雨。
それでも多くの方が来院くださり、盛況のうちにお開きとなった。
その台風の後、あっちこっちで木が折れたり倒れたりして片づけに追われた。
(今月は日曜日のたびに雨が降っている気がする)
この頃よく思うこと。
それは「諸行無常」(すべてのものは変化する)ということ。
どんな状況にあっても時は過ぎてゆくし、
結構大きな木だって、一晩のうちになぎ倒されることがある。
自分自身も静かに(?)年齢を重ねているから、
色々なことが若い時のようにはいかない。
先日「方丈記」の入門書を読む機会があった。
高校生の頃
「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」
という冒頭の部分を学んだ。
おおざっぱに言うと「この世は常に変わり続ける」という意味。
作者、鴨長明の生きた時代は様々な災害や飢饉などが次々と起こっていたそうで、なんだか今の時代に良く似ている。
変化に動じない、ものごとに縛られない、事実をありのままに受け入れる・・・。
そんなことが今すごく求められているように思う。
ちなみに、この世のものごとは変化し続けるが、
私たちの父である神は決して変わることなく永遠に存在する。
今年も・・・
- 2017/10/13(金) 21:43:33
去年に引き続き納骨堂そうじ。
今回は9人のメンバーが納骨堂チームと祈りの家チームに分かれて活動。
祈りの家チームは、黙想用の個室の窓を一部屋ずつおそうじ。
納骨堂チームは、去年と同じように窓やら鉄格子やらを磨きまくり・・・。
私が納骨堂そうじをするのは、もう5~6回目になる。
毎回不思議なのは、普段締め切ってあるところなのに、
何者か(鳥とか動物とか)の糞が点在していること。
いつ、何がどうやって侵入するのだろう。
そうじをしている最中もムカデやらトカゲやらに遭遇して、
なかなかにスリリングだった。
それだけ自然環境に恵まれているということでもある。
この通り、納骨堂の鉄格子の向こうには緑が輝いている。
小さな納骨堂だけれど、小さなステンドグラスの窓や、
壁に埋め込んだ貝などがおしゃれ。
この素敵な納骨堂に、掃除の翌日新しい姉妹が入居した。
そう、8月に亡くなったシスターの納骨式だったのである。
来月は死者の月。
きれいになった納骨堂で、天国のお姉さんたちも喜んでいらっしゃるハズ。
- 天国
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コスモスの季節~召命の祈り~
- 2017/10/03(火) 22:05:12
今年もコスモスの季節がやってきた。
毎年この時期に、司祭、修道者の召命を祈る「コスモスの集い」を開催している。
もう10年くらいになるだろうか。
この集まりを通して召しだされた司祭、修道者もいらっしゃる。
いつの頃からか我が家の志願者や修練者が
自分の召命について分かち合うようになった。
100人居れば100人の物語があるので、
他の姉妹の召命の話はどれもこれも興味深い。
今年はベトナム人の修練者が語ってくれた。
彼女は自分ではシスターになることを考えていなかったが、
お姉さんに勧められたときに「神の呼びかけ」を感じたという。
難しい日本語、文化の違い・・・。
ベトナムに帰りたいと思ったこともあったらしい。
召命の確認のためにベトナムに一時帰国した時は、
家族が病気をしており、日本に戻ることにとまどいもあったが、
お母さんに背中を押されて、歩みを続けたのだそう。
聞くも涙、語るも涙とはこのこと。
話そのものも泣けるが、話す彼女も涙をこらえながらだったので、
聞いている人の中にも目頭を押さえている人が居た。
一人の召命の後ろにはたくさんの人の支えや祈りがある。
皆、様々な思いを背負ってここに集められたのだ。
- 祈
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