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主の祈り 再発見
- 2016/07/27(水) 20:23:57
週末、「愛と光の家」に一泊して静かな祈りの時間を頂いた。
ここは昔、キリシタンの里だった土地らしい。
和風の建物はとてもセンスが良くて心地よく、
心のこもったお料理の数々に霊肉共に満たされる。
入り口には高山右近像。
ミサでは、フランス人の神父様がユーモアたっぷり、かつ深いお説教をしてくださった。
主の祈りについて・・・。
主の祈りと言えば、私も生徒に話すためにたびたび祈っている。
この祈りのポイントは複数形の「私たち」
・・・というところは神父様も私も同じ。
でも私たちの内容が少し違う。
私は「全ての人」と捉えたけれど、神父様は「イエス様と私」なのだと。
「私たちも人を赦します」
私は赦せないかもしれない。
でもイエス様が一緒なら赦せるでしょう・・・と。
なるほど・・・。
というわけで、「愛と光の家」とても素敵です。
静修、黙想に力いっぱいお薦めします。
http://divinemercy.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/20152016-20ba.html
- 祈
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出会い
- 2016/07/16(土) 13:13:16
大昔、読んだ漫画の台詞を思い出した。
主人公はちょっと斜に構えた女の子。
新しい家庭教師に会うのが面倒くさいとぼやく彼女に、
(かなり)年上のボーイフレンドが言った台詞。
「人に会うのはいいものだよ。もしかしたら君の人生を変えるような人かもしれない」
果たして新しい家庭教師は、
強烈な個性やカリスマの持ち主では無かったが、
主人公の知らなかった世界を見せてくれる。
そこで主人公は運命的な恋に落ち、
さらに自分自身の知らなかった才能をも見出すのだった。
人生を変える・・・は大げさとしても、
人との出会いによって私たちは変化してゆく。
その人自身に影響されることもあれば、
その人を通して何かを得ることもある。
私にも
「あの日、あの時、あの人に会わなかったら私はここに居ない。」
という出会いがあった。
様々な出会いの記憶をたどるたびに「神の導き」を思う。
- 読書
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祈りの力
- 2016/07/10(日) 20:37:05
本日は映画観賞。
タイトルは「祈りの力」
主人公は家庭崩壊寸前の妻。
彼女は仕事先で出会った老婦人から戦いに勝つために「祈る」ことを伝授される。
やがて彼女の祈りは自分も家族も変えて行く。
老婦人が祈るために籠っていたクローゼットを
「戦いの部屋」と呼んでいたことが印象的。
祈りは戦いなのだ。
以下、彼女の台詞
「神に戦って貰うのよ。」
人には出来なくても神には出来る。
というわけで、この映画お薦めです。
静かに感動します。
- 祈
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み言葉の分かち合い
- 2016/07/02(土) 20:07:15
明日の福音分かち合い。
以下、私の心に響いた部分。
「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。
それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。」
以前は
「狼の群れに送りこまれたら、私は狼になるだろう。(周囲のカラーに染まるだろう)」と思った。
今日はちょっと違う。
狼の群れに小羊を送りこんだらどうなるか。
恐らく小羊は無残に食いちぎられてしまうだろう。
それはどんなに恐ろしく痛く悲しいことか・・・。
でも、その小羊の肉によって狼たちは空腹を少しかもしれないけれど
(狼の方は群れだから)満たすことが出来る。
宣教活動は、時に辛いばかりで、
何の力にもならないように見える。
でもほんの少しずつでも周囲の人々の心を癒すかもしれない。
キリストが求めているのはそういうことではないか。
狼の群れに飛び込むことは恐ろしいけれど、
自分を与えて、ほんの少しずつかもしれないけれど周囲の人々を満たす。
その犠牲は決して無駄では無い。
狼も神に頂いた尊い命を生きているのだから。
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