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紫陽花の季節
- 2014/06/28(土) 17:27:56
修道院の前の道は紫陽花が花ざかり。
紫陽花は複雑な色合いがいい。
露をしたたらせた雨上がりの風情は最高だ。
今日は花のような手作りのマグネットを入手。
先日、福島に行ったシスターが持ち帰ったもので、
南相馬の仮設住宅で暮らす方々の作品だという。
真ん中には綿が詰めてあり、小さなピンクッションにもなる。
被災地の方々の苦悩は私たちには到底測り知ることもできないけれど、
ほんの少しでも協力出来ればと思い、そのシスターに寄付を託した。
今回の授業でも「主の祈り」の解説をした。
「主の祈り」は私たちの祈りだと以前書いたことがある。
http://josephosaka.blog111.fc2.com/blog-entry-266.html
主の祈りの「私たちの」という部分から「たち」を取ってみると、
わがまま100%な祈りになってしまう。
ならば・・・と今回は「全ての人」と読みかえてみた。
「天の父」は「全ての人の父」なのだから、この祈りの「私たち」は
「私」を含む「全ての人」になるのではないか。
するとどうだろう。
世界の平和と全人類の幸せを願う壮大な祈りとして響いてくる。
全ての人の日毎の糧を今日もお与えください。
全ての人の罪をお許しください。
全ての人も人を許します。
全ての人を誘惑に陥らせず悪からお救いください。
全ての人が他人を許せるようになれば戦争は起こらない。
全ての人が誘惑に打ち勝ち、悪を行わずに済めば、
どれだけの人が貧しさや困難な状況から救われるだろう。
不可能にも思える願いながら、ものすごい力を感じる。
また「糧」という言葉の中には食べ物だけではなく、
命を脅かされない安全な環境も入るのではないかと思うので、
http://josephosaka.blog111.fc2.com/blog-entry-472.html
全ての人の日毎の糧を願うことは、
飢えている人の救いに加えて、
苦しい環境にいらっしゃる方々の救いをも求めることになるだろう。
祈りだけでは何にもならないという人も居る。
でも祈りによって自分が何を必要とし、
何をすべきなのかを知らされるのも事実だ。
世界中の人が美しい花に心を和ませられるような環境に住み、
充分な糧を得られること、
そして私の生徒たちの中から「祈りの達人」が誕生することを切に願う。
Sr.ぱうろ
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