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私たちの日ごとの糧を

  • 2011/09/07(水) 22:56:00

一昨年、高校の授業で取り上げた主の祈り。
この夏休み前から、また気になりだした。
それというのも某ミッションスクール出身の先生に、
「百合に来て初めて『主の祈り』を唱えた」と聞いたから。

ふと、うちの子たち(園田教会の中高生)は大丈夫か???
と思ったので、二学期の初めは主の祈りをよく考えることにした。
毎週主日のミサで唱えているのだから、
暗唱出来るだろう…と思ったが、
「書いてみて」と黒板を示したところ、
一人目は二行目でギブアップ。
二人目とチェンジしたが、やはり途中で混乱。
三人目でやっと最後まで書き終わった。

それから駆け足で一通りの意味を解説したが、
昨日になって急に
「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」
という部分が気になりはじめた。

糧は生命を維持するために欠かせないもの。
この一行は食べ物のみならず、
安全で健康な生活を求めているのではないだろうか。
そもそも糧を入手するためには、
経済力のみならず、スムーズな流通経路も必要だと思う。
そのためには平和で安全な環境が欠かせない。

とすれば、「日ごとの糧を…」は、
戦争や治安の悪い社会で苦しむ人や、
台風、地震、津波などの災害で、
生活の基盤を失った人の助けを願う祈りでもある。
日本中が想定外の天災で苦しんでいる今、
心をこめて祈らなければならない言葉なのだ。

前にも書いたけれど主の祈りは自分だけの祈りではない。
一人称複数形で唱えるのは、
自分だけではなく、周囲の人や祈りを必要としている人、
最終的には全人類の幸福を願う祈りだからだ。
(過去の記事はこちら↓)
http://josephosaka.blog111.fc2.com/blog-entry-266.html

横浜教区の司教様は「主の祈り」を唱える前に、
いつも「主が教えて下さった祈りに勝る祈りはありません」
とおっしゃっていたけれど、
「主の祈り」ってやっぱりすごい。

Sr.ぱうろ