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暑さ寒さも・・・
- 2011/09/25(日) 15:54:41
…彼岸まで…。
ほんの一週間前まであんなに残暑が厳しかったのに、
急に朝夕冷え込むようになった。
すさまじい台風の後は、
すばらしい秋晴れ。
その爽やかな秋晴れの下で、
百合学院小学校の運動会「ユリンピック」が開催された。
その週は月曜日が祭日。
火・水は台風で休校。
直前の練習が足りなかったにもかかわらず、
児童たちはがんばった。
本番に強いのかな。
私は受付、接待、その他で演技も競技も見られなかったけど、
見に行ったシスターたちの表情から、
とても良い一日だったことは分かる。
我が家のシスターも何人か競技に参加したらしい。
屋外で、家族に見守られて運動会が出来る喜び。
今までは当たり前のように思って来たけれど、
このたびの地震、津波、水害を通して、
それがとても貴重なことだと知らされた。
我が校の児童たちには、
自分たちが頂いた恵みの大きさを
しっかりと噛みしめて欲しい。
そして人の痛みを思いやれる大人に成長して欲しい。
Sr.ぱうろ
- 学校
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夏の思い出
- 2011/09/17(土) 17:13:05
シスターたちの研修会に行ったら、
修道会にレポートを提出しなければならない。
盛りだくさんな研修内容を思い出しながら、
つい笑ってしまうのは、
私たちのグループ6人でやった寸劇。
それは一人のシスターの召命物語をヒントに
皆で作った創作ドラマ。
ここに一人のイケイケで派手派手な女性が居る。
毎日が空しくて酔いつぶれていると、
夢枕にマリア様が立つ。
「そんなところに居ないで教会に行きなさい」
早速教会に行くと二人のシスターが祈っていた。
「私もそんなふうにお祈りしてみたいのですが」
「じゃあ、修道院に来てみますか?」
「えっ!?でも私、化粧濃いし超ミニだし、超ゴージャスなんですけど」
「大丈夫、皆待ってますよ」
こうして、優しいのか強引なのか分からないシスターたちに連れられて、
修道院にやって来た主人公。
一緒に食卓につくと、
しっかり者の院長シスターや、
認知症の始まりつつある老シスター、
酒好きの外人シスターを中心に話の花が咲く。
ミサの説教の話。
食卓の花の話。
ごく当たり前の日常に神を賛美し、
他愛のないことに笑うシスターたち。
主人公はくだらない…と思う反面で思う。
「私、もう随分長いこと笑ってないな。
シスターたちはキレイな服も高価な宝石も持っていないのに、
どうしてあんなに楽しそうなんだろう」
「私にもこんな生活ができるでしょうか」
「大丈夫よ。神様のお導きがあれば」
院長シスターが力強く受け合う。
「私にだってなれましたから」
外人シスターも相槌を打つ。
シスターたちの歌う中、
ベールを被った主人公が院長に連れられてやってくる。
院長が客席に向かって言う。
「新しい姉妹を紹介します。」
主人公が天を仰ぐ。
「神様、私、宝物を見つけました。
宝物はここ(自分の胸を指す)にあったんですね」
こうして物語は幕を閉じるのだが、
「シスターたちはどうしてあんなに楽しそうなんだろう」
というセリフが心に残っている。
まだ洗礼も受けていない頃、
ある観想修道院のシスターたちを見た時に、
私も同じことを思っていた。
その時は、まさか自分が将来シスターになるとは夢にも思わなかったが、
あれは最高の宣教だったと思う。
「シスターたちは楽しそう。
キレイな服も高価な宝石もないし、恋人だって居ないのに」
(ん?恋人はイエス様?)
Sr.ぱうろ
今度は英語で
- 2011/09/10(土) 09:35:19
この前の「主の祈り」勉強会の導入には
ラテン語の「主の祈り」を彫ったペンダントトップと
英語の「主の祈り」のカードを使った。
「今日のテーマはこれです。さあ、何でしょう!?」
ラテン語のペンダントトップを見ても、
「なんでしょねえ???」という感じだけれど、
さすが百合小出身者は英語のカードを見るなり
「主の祈り!?」と小さく叫んだ。
百合学院小学校では「主の祈り」英語版も学ぶのだ。
二学期に行われる「LEE(Let's Enjoy English)」
(英語の発表会)では、ゴスペルソングとともに登場する。
この祈りは日本語訳だけでも色々あるけれど、
一体何ヶ国語に訳されているのだろうか。
全世界の人が様々な言語で同じ祈りを捧げている。
カトリックもプロテスタントも東方教会も。
キリスト教系の学校や施設では、
信者ではない子や職員も。
それはそれは大勢の人に知られて祈られていて、
壮大な祈りの輪を作っている。
というわけで、今度は英語で「主の祈り」
色々なメロディーがあるけれど、
こちらは馴染み深い「ホタルの光」に「主の祈り」を乗せて歌っているもの。
素敵です。
Sr.ぱうろ
- 祈
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私たちの日ごとの糧を
- 2011/09/07(水) 22:56:00
一昨年、高校の授業で取り上げた主の祈り。
この夏休み前から、また気になりだした。
それというのも某ミッションスクール出身の先生に、
「百合に来て初めて『主の祈り』を唱えた」と聞いたから。
ふと、うちの子たち(園田教会の中高生)は大丈夫か???
と思ったので、二学期の初めは主の祈りをよく考えることにした。
毎週主日のミサで唱えているのだから、
暗唱出来るだろう…と思ったが、
「書いてみて」と黒板を示したところ、
一人目は二行目でギブアップ。
二人目とチェンジしたが、やはり途中で混乱。
三人目でやっと最後まで書き終わった。
それから駆け足で一通りの意味を解説したが、
昨日になって急に
「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」
という部分が気になりはじめた。
糧は生命を維持するために欠かせないもの。
この一行は食べ物のみならず、
安全で健康な生活を求めているのではないだろうか。
そもそも糧を入手するためには、
経済力のみならず、スムーズな流通経路も必要だと思う。
そのためには平和で安全な環境が欠かせない。
とすれば、「日ごとの糧を…」は、
戦争や治安の悪い社会で苦しむ人や、
台風、地震、津波などの災害で、
生活の基盤を失った人の助けを願う祈りでもある。
日本中が想定外の天災で苦しんでいる今、
心をこめて祈らなければならない言葉なのだ。
前にも書いたけれど主の祈りは自分だけの祈りではない。
一人称複数形で唱えるのは、
自分だけではなく、周囲の人や祈りを必要としている人、
最終的には全人類の幸福を願う祈りだからだ。
(過去の記事はこちら↓)
http://josephosaka.blog111.fc2.com/blog-entry-266.html
横浜教区の司教様は「主の祈り」を唱える前に、
いつも「主が教えて下さった祈りに勝る祈りはありません」
とおっしゃっていたけれど、
「主の祈り」ってやっぱりすごい。
Sr.ぱうろ
- 祈
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夏の研修会
- 2011/09/01(木) 22:15:45
毎年恒例の「若手シスター研修会」
今年は山中湖のサレジアンシスターズが会場で、
全国から40人ものシスターが集まった。
毎回、講師の話よりも参加者同士の分かち合いの方が盛り上がるのだが、
今回はセッション自体も参加者間の親睦を深める内容で面白かった。
二人一組のペアで他己紹介をしたり、
同じく二人一組で散歩をしたり、
グループで出し物をしたり。
名前を覚えるためのゲームなどもあったため、
三日目には全員の名前をおぼえてしまった。
最終日には背中に紙を張り付けられて、
お互いに長所の書きあいっこをしたりもした。
これ、かなり感動する。
「やっぱりね」というのもあれば、
「なるほどー」というのもある。
私の長所として多かったのは
「落ち着いている」
謎だったのは
「大人の話ができてうれしかった」
一体何を話したんだ、私???
そしてこれは誰が書いたんだ!?
この「長所書きあいっこ」をはじめとして、
今回の研修会では宗教の授業に使えそうなセッションが多かった。
教壇に立たなくなって久しいが、
つい授業のネタを探してしまうのは後遺症だろうか。
Sr.ぱうろ
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