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祝 御降誕

  • 2010/12/25(土) 11:30:49

我が家の御子さま

御子さま


PS:明日から黙想のため、しばらく更新できません。
皆さま良い新年をお迎え下さい。

Sr.ぱうろ

断捨離

  • 2010/12/23(木) 11:13:02

この間、テレビで断捨離(だんしゃり)のことを見た。
「使っていないもの」で溢れ、
床も見えないほどの部屋を作ってしまった奥さんが断捨離を決行。
「今の自分には必要の無いもの」をどんどん片づけてゆく姿が放映されていた。
捨ててゆくうちに奥さんは自分の中の様々な「とらわれ」に気付き、
解放されていく。

「今の自分には必要の無いもの」
私の周りにも結構ある。
使う予定が無いのにもったいないから…と捨てられずにいるもの。
いつか使うだろう…と取っておいてしまうもの。
でも余計なものがあると、その分「管理するストレス」が発生する。
必要な物を探すときの障害になることもある。

ふと「金持ちの青年」の話を思い出した。
誰もがマタイのように、すぐイエスについていかれるわけではない。
金持ちの青年は、財産を手放せなくて、
イエスについてゆくことが出来なかった。

今の自分に必要のないものを手放す…。
それは自分の都合や捕らわれを手放すことにも通じる。
神は本当に必要なものを必要な時にお与え下さるのだから、
多少痛くても、今は要らないもの(こと)を捨て去る勇気を持ちたい。

修道会に入る前に与った黙想で、心の中に響いてきた御父の言葉。

「お前を養っているのはこの私…」

そして私はそれまでの生活を手放すことに決めた。

Sr.ぱうろ

百合学院中学・高校のクリスマス

  • 2010/12/18(土) 21:14:27

今日は朝から忙しかったが、
午後も充実していた。
遅い昼食を5分で済ませ、
百合学院中高セシリアホールへダッシュ。

今年のクリスマスは私の教えた子たちが活躍するので、
見逃すわけにはいかない。
まずはアンサンブル部の美しい演奏でスタート。
そして高校二年CEコースの聖劇。
普通、クリスマスの聖劇と言えば御降誕だが、
我が家の場合は一味違う。
一昨年は「姦通の女」
去年は「パウロの回心」
そして今年は「マタイの召命」

ローマ帝国の支配下にあるユダヤにあって、
帝国に払う税金を取り立てる徴税人は、
同じユダヤ人から裏切り者として嫌われていた。
お金だけが友達。
だから不正な取り立ても得意。
余計に取り立てたお金は自分のふところへ…。
こうしてますます嫌われる。
その徴税人だったマタイが、
いつものように徴税所に居ると、イエスが通りかかった。
そして一言。

「私についてきなさい」

マタイはすぐにイエスに従った。

聖書はマタイがどのような受け答えをしたのか、
それまでどのような状況があったのか、
何も書いていない。
しかし彼の心持は充分に想像で補うことが出来る。
イエスは淋しい人、虐げられている人、罪人の味方だった。
それまで人の優しさに触れることがなかった人々にとって、
イエスとの出会いはまさに福音(良い知らせ)だったのだ。
聖劇ではそのあたりの状況も分かるように
セリフを付け足して演じていた。

聖劇に続いて各学年のテーマ発表が行われた。
テーマはどれも社会問題に関するもの。
その中で心に残った言葉がある。

「私たちは微力ですが、無力ではありません。」

マザー・テレサもこのような言葉を残している。
「私たちのすることは大海の中の一滴に過ぎないかもしれません。
でもその一滴が集まって大海となるのです。」
小さなことでも何かをすれば、その積み重ねが世界を変える力となるのだ。

最後に行われた言葉の祭儀では、
聖歌隊が透き通るような美しい声を聴かせてくれた。
アヴェ・ヴェルム・コルプスを聴いた時は、
正直、鳥肌が立った。

忙しかったがとても良い一日だった。
がんばった生徒たちが良いクリスマスを迎え、
新しい年にさらなる恵みを頂けるよう、心から祈る。

Sr.ぱうろ

幼子イエスのために・・・

  • 2010/12/17(金) 17:54:28

以前、幼稚園で働いていたシスターと雑談していたとき、
とても心に響く言葉があった。
そのシスターは園児たちにこんなことを言ったことがあるという。
「クリスマスはイエス様のお誕生日よ。
だからプレゼントはみんなが貰うのではなくて、
イエス様にあげなくちゃね。」

なるほど…!

そして反省。

思えば私は洗礼を受けるずっと前の幼稚園時代から、
クリスマスはイエスの誕生日だということを知っていた。
(注:厳密にはその日はイエスの誕生とは言えない。
誕生日の記録は無いし、その日に祝うのには別の理由がある。)
でも、イエス様にお祝いを贈らなければ…という発想は、
今の今まで無かったのである。

どうやってイエスにプレゼントを贈るのか。
イエスは悩み苦しむ人々の中に、
そして御聖体(キリストの体であるパン)を頂いた信者たち(自分も含む)の中にいらっしゃる。
すべての人々に愛を持って接することが、
幼子イエスへのプレゼントとなるだろう。

淋しい人に寄り添う。
悩める人、苦しむ人の話を聴く。
貧しい人、困難な状態にある人のための募金に協力する。
病気の人を見舞う。
困っている人を手伝う。
誰かのために心から祈る。
周囲の人々に思いやりを持って接する。
明るい笑顔で関わる。

お金をかけて高価なプレゼントをすることよりも、
どれだけの時間、労力、心を使うかが重要だ。
遠い国からイエスの誕生を祝いにやって来た博士たちは、
黄金、乳香、没薬という高価なプレゼントを持ってきたが、
お金以上にそうとうな時間と労力を使い、
想いをこめたに違いない。
その愛の深さこそが尊いと思う。

Sr.ぱうろ

2010年、今年の漢字

  • 2010/12/13(月) 21:11:58

このブログをはじめてから、ほぼ毎年私自身の今年の漢字を発表している。
去年は考えなかったようだが、
一昨年は「挑」その前は「会」を選んだ。
そして今年は…。

「楽」

なんだかゆるくて緊張感の無い漢字ではあるが、
昨年は緊張感ばりばりで、一昨年に引き続き、
チャレンジに次ぐチャレンジだったので、
それと比べると今年はゆったりとした気分なのだ。

プチ引っ越しをして共同体が変わった。
後輩がぞろぞろ居た昨年と違い、今年は私が末っ子。
お姉さんたちに可愛がられて、
しくのんびりと過ごしている。

転職をして授業作りのプレッシャーから解放された。
高校教師から小学校の事務へ。
フルタイムになったので、非常勤だった去年より労働時間は増えた。
でも、教科書が無い「宗教科」は、
授業に使うプリントからテーマから全て自分で考えなければならない。
365日、授業のことしか頭に無い日々。
それと比べたら、やるべきことがはっきり分かっている事務労働は、
精神的ゆとりがある。
(最初のうちは、教え子たちを思い出してホームシックになっていたが)

教会では中高生会のメンバーが増えた。
去年は女の子ばかりでしーんとしていたが、
今年は男の子も入って少し活気が出てきた。
彼らを見ているうちに新しい野望が湧いた。
今年は旧約聖書を読んでいたが、
来年は使徒書やパウロの手紙を読ませたい。
未来の教会を担う彼らに、教会の使命や歴史を語っておきたいのだ。
…またしても「授業作り地獄」にはまりそうな野望だが、
彼らが成長した姿を想像するのは、
とてもとてもしい。

Sr.ぱうろ

防寒対策

  • 2010/12/09(木) 21:04:41

以前にも書いたけれど、修道服は寒い。
なので、中にも外にもいっぱい着る。
それでも私は風邪をひいてしまう。

ある時、医療現場で働く先輩シスターに、
「首と名のつく所は冷やしちゃいけないんだって」と聞き、
首、手首、足首に気をつけるようになった。
そのシスターにならって、夜は首にタオルを巻いて寝る。
しかし昼間はタオルを巻くわけにはいかない。
かといってマフラーは、屋内では変だし仕事の邪魔になる。

そこでこんなものを編んでみた。

エリマキ

病院の待ち時間に読んだ雑誌に紹介されていたもので、
15㎝×53㎝くらいの長方形を編み、首に巻くのだ。
オリジナルはボタン止めだったが、
ボタンホールを作る自信が無いのでスナップ止めにした。
さらにコサージュを追加。
周りのシスターたちには笑われたけど、
ひとひねりしたかったのだ。
編み目はところどころ不細工だが、ちゃんと温かい。

がんばったなあ、私。

Sr.ぱうろ

待降節

  • 2010/12/03(金) 20:16:48

今年も待降節がやってきた。
小学校も校舎中がクリスマスの飾りでいっぱいだ。
我が事務室にも小さな馬小屋が登場した。
うまごや
この馬小屋、人物がみんな丸い
ころんとしたおなかと、無邪気な表情がとてもかわいらしい。
彼らの前を通るたびに笑ってしまう。
馬小屋めぐりもクリスマスの楽しみのひとつだ。

そしてもう一つの楽しみはカード。
文を書くのは気合いが要るが、作るのは楽しい。
お気に入りの御絵とありあわせの画用紙を組み合わせて作る。
少々手間がかかるので、数は限定。
写真は遠方でがんばっている友人用に作ったお気に入りの作品。
クリスマスカード

クリスマスまであと22日。

(画面左側にクリスマスキャロルの視聴が出来るパーツをとりつけました。
98種類の演奏がランダムで登場します。)

Sr.ぱうろ