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効果テキメン!

  • 2010/03/30(火) 11:48:27

少し前に書いた成長のおそい謎の植物のその後。
あれから、毎日声をかけるようにした。
すると効果テキメン!

ふたば2

小さい葉が大きくなったのが分るだろうか?
声をかけ始めてから、確かに成長が早くなった気がする。
それに自分自身の変化もある。
声をかけるために屈みこんでこの子に近づくようになった。
すると遥かな上から眺めるよりも、様子がよく分かるようになる。
もしかするとちゃんと成長しているのに、
小さいから気がつかなかっただけなのかもしれない。
近くでよく見たり、気にかけるって大切だ。

今日から私はお引っ越し。
(隣の建物に行くだけなので住所は変わらないけれど…)
この子もベランダから小さな窓辺に移る。
新しい環境でもしっかり成長して欲しい。
この子も私自身も。

Sr.ぱうろ

ダブル誓願式 その2

  • 2010/03/28(日) 15:07:58

昨日、ダブル誓願式の話を書いたけれど、
ダブル誓願式は私の三年来の夢でもある。
三年前、私の初誓願式は私だけの誓願式だった。
正直言ってキツかった。

本会では誓願式の典礼で使用する聖書の箇所や歌などは、
受式者が考える。
式次第のレイアウトや印刷、さらには製本なども受式者の仕事。
(最終的には修錬長、会長のチェックが入るのだが)
私は一人だから、何もかも一人でやらなければならなかった。
自分の好きなものばかり選べてラッキーと言えばそうなのだが、
式次第の文書打込みから、100部以上に及ぶ印刷、製本なども全て一人…。
これは心細い。
誓願式当日も、たった一人で恐ろしい緊張と戦わなければならなかった。
せめてもう一人くらい仲間が居て、
一緒に作業したり、励ましあうことが出来たらどんなに心強いだろう。

その時から
「終生誓願の時には同じ式で初誓願を立てる人が居て欲しい。」
という願いが生まれた。
誓願までの歩みには多少の個人差があるものの、
一般的なケースで計算すれば、
今年の春に志願期に入る人が居ればご一緒出来る。
ありがたいことに、この四月、ベトナム出身の学生志願者が、
正式な志願者として受け入れられることになった。
三年後、ふたりで誓願を立てられるよう切に願う。

Sr.ぱうろ

ダブル誓願式

  • 2010/03/27(土) 21:47:37

大学で一緒に勉強していたシスターが終生誓願を立てられるので、
お祝いにでかけた。
その式ではもう一人のシスターの初誓願も行われた。
だから初&終生のダブル誓願式。
大司教さまの司式による、とても荘厳で感動的な式だった。
そのお話がとても心に響いたのでご紹介させていただく。

大司教さまは、もともと司祭になるつもりではなかったが、
ある時「自分はどうしても司祭にならなければならない」
と思わされるような出来事にあって、司祭になられたのだという。
叙階後は宣教したいという志に燃え、教会での司牧を希望されたが、
修道会が命じる派遣先は、院長、修錬長といった院内の管理職ばかり。
そのようにして長い年月が過ぎた後、
ついに念願が叶い、当時の司教さまから某有名教会の主任司祭を命じられた。
ところがである。
その喜びも束の間、今度は教皇さまから司教になるようにと命じられてしまい、
またしても主任司祭にはなれなかったのだという。
このようにして毎回、大司教さまの意思や希望は神さまに打ち砕かれた。
大司教さまも神さまの導くままに、与えられる使命を引き受けてこられた。
これが従順の誓願を生きるということなのだ。

以前、ある高名な神父さまがおっしゃった言葉を思い出す。
「私は入会以来、一度も断ったことがありません」
その神父さまも、得意不得意にかかわらず、修道会が命じることを引き受け続けた。
時には大失敗もされたそうだが、それでも従順の誓願を貫かれた。
「かっこいいなあ」と思う。

従順というのは、ただ言いなり…ということとは違う。
引き受けるからには責任を持って前向きに取り組み、どのような結果も受け入れる。
聖母マリアが「お言葉通りになりますように」と天使のお告げを受け入れ、
イエスの生涯に寄り添われたように。

シスター人形

修道院の受付でシスターの手作り人形を購入。
皆さんとおそろいの修道服を着ていて、とてもかわいらしい。

Sr.ぱうろ

新学期

  • 2010/03/27(土) 09:00:30

昨年度は教員デビューで冷汗だった。
今年度は事務員デビューでまたしても冷汗。
修道生活には転職と引っ越しがツキモノ。
高校の職員室から小学校の事務室へ…。
あっ!!!と驚く波乱の展開である。

私にとっての修道生活は、
冒険とチャレンジの人生

まさか私が…の連続である。
職業選択の自由はあるような無いような、あんまり無いような…。
しかし、自分では選びそうも無い職業や土地に派遣されることによって、
自力では発見できなかったに違いない才能が目覚めたり、
普通なら会わなかったであろう人との出会いに恵まれる。

昨年は365日授業のことばかり考えていた。
最後まで授業の前は緊張しまくっていた。
「イエス様、私には無理です。どうか、あなたが私の口を使って話して下さい。」
…と、教室に向かうたびに祈っていた。
が、我が百合学院の生徒達はすばらしかった。
全員がいつも良い子にしていられるわけではないが、
毎回、感性豊かな感想の数々に感動させられた。
それに、道や廊下で会った時の彼女たちの笑顔は輝くようで、
「ああ、先生って幸せ…」と何度も思った。

自分では避けたかった仕事を頂いて、
自分では思いもよらなかった宝物を頂く。
これが修道生活の面白さ…と誓願三年のひよっこSr.ぱうろは思う。

そして今年も(Sr.ぱうろ流)非常事態の祈りは連発されることだろう。

イエス様、あとはよろしく!

Sr.ぱうろ

愛は忍耐

  • 2010/03/25(木) 09:34:34

これは、妹に貰った種から出た芽。

ふたば

何の種なのか分からないままに、とにかく蒔いてみた。
しかし、種は10粒くらいあったのに、出てきた芽は一つだけ。
しかも出てからが長い…。
なかなか成長しない。

いらいら…

ふと「声をかけてやると植物はよく育つらしい」という話を思い出した。
そういえば、宗教の授業で言葉の持つ力について話したときに、
ある生徒が「植物に声をかける実験をしたことがある」と言っていたっけ。
結果は、確かに普通に育てたものより成長が早かったらしい。

そこでかがみこんで声をかけてみた。
あまりプレッシャーになる言葉も良くないだろうし、
それでいてポジティブな言葉は…???
頭をひねった末に出てきた言葉はこれ。

がんばってるね。

今年度、大学で聴講した心理学で聞いた話だが、
頭の良い子を育てたかったら、能力ではなくて努力を誉めた方が良いそうだ。
能力は固定的なものだが、努力は本人次第でいくらでも伸ばせる。
努力を誉められて育った子供は、失敗や挫折にめげることなく、
困難にも果敢にチャレンジ出来るようになるらしい。
一方、能力を誉められた子は、失敗や挫折に弱くなってしまう。
だから、この謎の双葉を励ますにも努力を誉める言葉をかけようと思った。

…がんばってるね…。

自分でかけた言葉にハッとした。
そうだ、この子もがんばっているのだ。
この子にはこの子のスピードがある。
成長が遅いからといってイライラしていた私はどうかしている。
かくいう私も決して飲み込みが良いわけではない。
新しいことに慣れるまでには、結構時間がかかる。
自分自身のためにも、この子の成長を忍耐強く見守ろう。
どんな植物に成長するかは分らないけれど、
最大限出来る応援をしてあげよう。

Sr.ぱうろ

サクラサク

  • 2010/03/21(日) 11:29:16

一昨日、聖トマス大学の卒業式に参列したときに、
大学の敷地内で今年初めての桜を発見した。
そして昨日、私たちの修道院でも桜が咲き始めた。

さくら

昨日は一人の志願者の着衣式(修練に入る式)で、
私たちの共同体は全員参列。
ふたりの老シスターもバスやタクシー、電車を乗り継いで出かけた。
式の写真も撮ったけれど、実は老シスターのしぐさの方が面白くて、
帰って見たらそちらの写真の方が多かった。

以下、着衣式の様子。

司祭に祝別されたベールと修道服を頂く。
   ↓
着衣式a
志願者が修道服を持って退場する間、会衆は聖歌を歌う。
会衆が聖歌を歌っている間に志願者は着替えて、修練者姿で再び入場。
見せることは出来ないけれど、この着替えはすごい。
私服の上から修道服をがばっと着せられ、
ベールを被せられて出来上がり。
まさに早変わりなのだ。

修練者姿になったところで様々な祈願が行われる。
   ↓
着衣式b


私たちの修練は通常二年。
一年は修練院の共同体に閉じこもって会の歴史や精神を学び、
自分を見つめる。
二年目は使徒職の場に出かけ、シスターとして働く体験をする。

修練…というくらいだから、楽しいことばかりではない。
誰よりも強敵である自分との戦い
勝利の鍵は、主イエス。
彼としっかり連携することにある。

Sr.ぱうろ

静修

  • 2010/03/20(土) 21:33:09

今年も誓願更新の時がやってきた。
私達は初めての誓願から三回は、毎年一年ずつ誓願を立てる。
四回目の今年はまとめて三年分。
だからこれから三年は脱走出来ない!?
誓願の前は静かに祈って過ごすのだが、
今回はまとめて三年分なので、
売布(めふ)の御受難会で司祭の指導を頂くことにした。

ここは洗礼を受ける前から縁があり、
行くたびに懐かしさと安らぎを得られる。
駅から近いのに山深い感じで森林浴が出来るのも良い。

こもれび

私は外で祈るのが好きだ。
土の香り、木の葉の揺れる音、木漏れ日…。
特に木を見ると、
枝の先、葉の一枚一枚にまで命が通っていることを思い起こし、
その命を与えた神の臨在を感じるのだ。
修道生活への決心を固めた時も、私は木の根元で祈っていた。
「お前を養っているのはこの私。何も心配は要らないよ。」
という父なる神のメッセージを感じた。

そして今回、売布の山ではこんな可愛らしい命も発見。
すみれ
足もとに咲くスミレ。
こういう小さい花は我が家の長老さまのお気に入りだ。
私が樹木の命に神を見るように、長老さまは小さな花の命に神の御手を見出す。
植物は声を出さないけれど、神さまのメッセージを運んでくれる。

売布の森で充電した私は無事に四回目の誓願を立てた。
同じミサの中で二人の大先輩が金祝(初誓願から五十周年)を祝った。
私の歩みはまだ三年。
五十年と言ったら私の17倍も修道生活をしていることになる。
すごいなあ…と改めて感じた。
千里の道も一歩から。
今年もまた一歩ずつ亀の歩みを続ける。

Sr.ぱうろ

元気の秘密

  • 2010/03/15(月) 11:57:26

我が家の長老さまは94才。
でも持病があるわけでも、耳が遠いわけでも無い。
足も達者で、目もよく見える。
同じお話を繰り返す以外は、至って健康。
いったい元気の秘密はどこにあるのか・・・???

そこで、長老さまの話す言葉や行動をあれこれと思いだしてみた。
そして気がついたこと。
長老さまは、超ポジティブだ。
話す思い出はほのぼのしたものばかりで、
恨みや妬み、後悔といったネガティブな話は一つもない。
空を見て美しいと言い、花を見てこれを創った神様は素晴らしいと言う。
人の悪口も聞いたことが無い。
長老さまの世界は「すべて良い」のだ。

思えば神様はこの世界を「極めて良い」ものとして創られた。
良いものを良いと素直に受け止めているところに、
長老さまの元気の秘密があるのかもしれない。

Sr.ぱうろ

植物のチカラ

  • 2010/03/10(水) 09:27:22

先週、私用で実家に行った。
庭の草むしりをしていたときのこと。
壊れた植木鉢がいくつも出てきたのだが、その原因にびっくり。
なんと中の植物の根っこが、鉢を壊していたのだ。
他にも鉢の底の穴から下の地面に根をおろしているものもあった。
雑草に攻撃(?)されつつも、しっかり蕾をつけている花も見つけた。

・・・すごい。

焼き物の植木鉢を割るまでには、相当の年月と労力を要したに違いない。
それでも成長し続けた根っこの力には感動してしまう。

植物の生き様(?)には教えられることが多い。
彼らは何も言わないし、目立った抵抗もしない。
しかし、どんな所に置かれてもそこでしっかり生き延びよう、成長しようとする。
いざとなれば自分のカラ(というか鉢)も破る。
従順なようだけど、実はしたたかだ。

静かで忍耐強く、なおかつ前向き。
そういうものに私もなりたい。

Sr.ぱうろ

今日は

  • 2010/03/01(月) 14:36:16

私の誕生日。
この頃は誕生日ではなく修道名の祝日に祝われるので、あまり気に留めなくなった。
でもはるか昔の今日、
母が私を産むためにがんばってくれたこと、
私もがんばって生まれてきたことを考えたら感慨深いものがある。

ここ数年、様々な宗教の勉強をしていて知ったのだが、
仏教には「生老病死」という言葉がある。
人は皆、この四つの苦しみから逃れることが出来ない。
だから赤ちゃんはこの世に生まれてきたのが悲しくて泣くという説があるらしい。
そしてもうひとつの説。
母体の中はとても温かくて心地よいけれど、
生まれるために産道を通り抜けるのは、赤ちゃんにとって大変な試練なのだという。
あまりの大変さにそれまであった前世の記憶を忘れてしまうほどなのだとか。

それが本当なら(もう忘れてしまったが)、
快適な母体からこの世へと飛び出してきた自分を褒めてあげたい。
生まれてきたというだけで、誰もが皆すばらしいのだ。

Sr.ぱうろ