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今日の空
- 2009/07/31(金) 22:40:36
空を見上げることが好きです。
自分の心の空模様をクレパスで表すことを教えていただき、
一日の祈りの始まりに時々書いています。
たいていは本物の空とは違うのですが、
今日の空は似ているとおもい、パシャリと
写してみました。
曇りが残っているけれど、光が上からさしている。
光は神様の呼びかけ、恵みに包まれている
とうれしくなりました。
モニカのつぶやき
- 祈
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この木なんの木?
- 2009/07/30(木) 22:28:20
ゴーヤ
- 2009/07/29(水) 10:43:22
修道院に来てから食べるようになったものに「ゴーヤ」がある。
正直なところ、あの苦味は苦手だ。
子供の頃、引っ越し先の家の庭で初めて植えられたものは、何故かゴーヤとオクラだった。
今と違い、ゴーヤもオクラも超マイナーだったのに、父が選んだのはこの二つ。
小学生の私にはどちらも魅力が無い。
可愛い花でもおいしい果物でもない。
ましてやゴーヤは苦くて匂いも個性的。
それ以来、ゴーヤは苦手だ。
しかし・・・。
修道院にはゴーヤファンが多いのである。
日よけのために見事なゴーヤカーテンを育てた共同体もあったし、
畑にはかなり高い確率でゴーヤが栽培されている。
いつか私がゴーヤ以外の野菜の苗を買い込んだときは、
病弱な老シスターに
「ゴーヤは夏バテの防止になるのよ・・・」と寂しげに言われてしまった。
老シスターの残念そうな顔は、誰の説教よりも効き目がある。
それ以来、ゴーヤから逃げないことにした。
そして今年は、ゴーヤの当たり年らしい。
このたび大量のゴーヤを頂いたので、
私にも食べられそうなゴーヤメニューを探してみた。
まずはゴーヤのピクルス、
続いてゴーヤの梅肉和え。
どちらも甘酸っぱいので、脂っこいおかずの箸休めにぴったり。
私と同じくゴーヤが苦手な学生志願者もお代りをしてくれた。
特に梅肉あえは簡単に作れるので、お弁当にもお薦めだ。
これで今年は夏バテ知らず!?
Sr.ぱうろ
- 働
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梅雨明け?
- 2009/07/26(日) 20:27:13
関東が梅雨明けしたと聞いて、暑中お見舞い申し上げます・・・なんて書いてしまったが、関西の梅雨明けはまだ先らしい。
昨日も大雨が降ったし、今夜も危ないとか。
老シスターが新聞を持って
「ちょっとシスターこれ見て!恐ろしいわねえ。関西南部ですってよぉ。」
と台所に立つ私のところに走ってきた。
新聞にはこれから関西南部を豪雨が襲うらしいという見出し。
そう、我が家はまさに関西南部に位置している。
しかし、このところの雨でベランダの植物は元気いっぱいだ。
風船かずらも小さな風船を作り始めたし、バジルの葉も一回り大きくなった。
そして、今年はじめて花を咲かせたこの子も。
このハーブはヒソプという。
詩篇に「 ヒソプで水を 降り注ぎ、私の罪を 取り去って、私を洗い清めてください 」という一節がある。
だから、ヒソプという名を見た時から、この花を育ててみたいと思っていた。
しかし、第一回目は失敗。
二度目も失敗。
今回は、かなり大きくなっていた苗を見つけての再々チャレンジ。
三度目・・・もしかすると四度目の正直くらいかもしれない。
残念ながらこのヒソプは聖書のヒソプとは違うらしいが、喉の薬になるらしいし良い香りもする。
自家製ハーブティーを楽しめると思えばやっぱり感謝。
よく育ってくれたね。
うちに来てくれてありがとう。
Sr.ぱうろ
リサイクルをしながら
- 2009/07/24(金) 11:38:05
この前のバザーで素敵なかっぽう着を見つけたので、古いエプロンを処分した。
入会前から使っていたので、すっかり色焼けして、正面に焼け焦げの穴まで開いている。
それを掃除用のぼろ布にしようと思い、切り裂いてみてびっくり。
ポケットの内側や縫い目の裏側にはもとの鮮やかな色が残っている。
要は表に出てない場所だったのだ。
でも・・・
こんな見えない部分もあわせて、ひとつのエプロンになる。
色焼けしてすりきれた部分が、エプロンとして機能するためには、
見えない縫いしろ部分や、ポケットの内側部分だってなければならない。
今まで見えないところでがんばってくれてありがとう。
今度は見えるところで(お掃除用布として)がんばってね。
見えないところでがんばる・・・。
なんだかヨゼフ様みたいだ。
Sr.ぱうろ
- 働
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無事終了
- 2009/07/13(月) 08:45:42
百合学院バザー無事終了。
前日の天気予報では雨&くもりだったけれど、シスターたちの祈りが聞き届けられたのか、当日はピカピカの晴天。
ものすごい盛況で、どのコーナーも混み合っていた。
シスターたちの手作りお菓子やマーマレード、佃煮などは開始から三時間足らずで完売。
手芸品関係は少し売れ残ったが、なかなかの売れ行きだった。
アクセサリー感覚で値段も安いブレスレットロザリオは毎回よく売れる。
ところが今回は、普通のロザリオも健闘した。
幼稚園くらいの女の子が一人、淡いブルーのロザリオの前で立ち止まった。
そのロザリオは少し高かったので、お母さんは
「それを買うなら、他には何も買わないよ。風船もヨーヨーもがまんする?」と。
しかし彼女の決心は固かった。
なんと言われてもそのロザリオを手に動かない。
結局、あらゆるものを諦めて彼女はロザリオを選んだ。
それはキレイな花模様のベネチアングラスが入ったロザリオで、今回の作品の中では一番の自信作だったもの。
どうかいつまでも大切にして欲しい。
Sr.ぱうろ
お茶のおけいこ
- 2009/07/11(土) 08:45:23
突然空き時間が出来たので、志願者のお茶のお稽古を見学した。
表千家のシスターが教えて下さっている。
私が入会前に習っていたのは裏千家。
やはり少しづつ作法が違っていて興味深い。
たたみに座ってお点前を眺め、お茶を頂く。
わずかの時間とはいえ、気持ちが静かになり、一点に集中する。
お茶は作法のみならず、心のあり方を教える時間。
私がお世話になっていた先生は、それはそれは厳しかった。
でも、そのおかげで身についたことが沢山ある。
無駄なく美しい立ち居振る舞い、同席する人に対する配慮、その場に応じた機転。
残念ながら茶席を離れるとうっかりすることが多いのだが、
今でも茶席に座れば自然と教わった作法通りに体が動くから不思議。
良薬は口に苦し。
厳しいけれど素晴らしい先生だったと思う。
ところで茶道の作法は、実はカトリックのミサの影響を受けているという説がある。
確かにお茶碗を清めたりする動作は、司祭がカリスを拭く姿に似ている。
その上、千利休には高山右近をはじめとする切支丹の弟子が何人も居た。
詳しいことは分からないが、心惹かれる歴史ミステリーだ。
Sr.ぱうろ
バザーの準備
- 2009/07/08(水) 09:26:47
主の祈り再発見 その2
- 2009/07/04(土) 09:00:03
主の祈りは「天におられる私たちの父よ」で始まる。
この「父よ」はもともとのヘブライ語では「アッバ」
子供が使う言葉。
現代の日本語にしたら
「パパ」とか「父ちゃん」とかいったニュアンスだろうか。
偉大で厳しい「父上」や高貴な「お父様」ではなく、
身近で優しくて何でも話せるような我が家の父親的神様像。
そんな、相談しやすくて頼りになる神様の呼び方を考えてみよう。
・・・という課題を出してみた。
神様は全能だから父親をあらわす言葉に縛られる必要はない。
お母さんだって構わない。
親のイメージにこだわる必要もないのかもしれない。
結果、本人しか分からないんだろうなあというのも含めて、
様々な呼び方が飛び出した。
やはり、お父さん又はおじいさんのイメージが多かったけれど、
この作業によってこんな発見をした生徒が居る。
「神様って厳しいイメージであまり好きじゃなかったけど、
呼び方を変えてみたら、ずいぶん印象が変わって身近に感じられるようになった。」
「主の祈り」が伝えようとしたのは、まさにこのこと。
神は特別な修行をした人だけの神ではない。
無学な普通の人々のそばにもいらっしゃって、
ささやかな願いにも耳を傾けて下さる方なのだ。
だから、「お父ちゃん」と呼びかけて良いんだよ。
それがイエスの教え。
Sr.ぱうろ
- 祈
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