- | HOME |
お祝い準備の品々
- 2009/02/28(土) 09:24:59
この春はお祝いが多い。
来月のはじめに、
合同修練でご一緒した某修道会の修練者がめでたく初誓願を立てられる。
聖ヨゼフの祭日(3/19)は新しい志願者の受け入れ式。
実はその日は私の大学の卒業式でもある。
そしてお告げの祝日(3/25)は、今居る志願者の着衣式。
(以前の記事をご参照ください。→)
ご復活には園田教会で四人家族の洗礼式と、
プロテスタントから改宗される方の式がある。
そんなこんなで、お祝いしたい人がひしめいているので色々と準備している。
これは本会のお祝い用に作ったもの。
創立者の田口枢機卿さまの言葉をハガキ大の厚紙に記した壁飾り。
花は去年のバザーの残り品で、これも立派なリサイクル作品。
枢機卿様の残された言葉には心に響くものがたくさんあるけれど、
私はこの言葉が一番好きだ。
いつかおばあさんになって、自分では何も出来なくなっても、
「あのシスターはとても良いシスターだね。」
と言われていたら最高だと思う。
だから、これから志願期、修練期に入る妹たちにも、
この言葉をキレイに飾って贈りたい。
「仕事は何もできなくてもいいから、いい修道者になってほしい」
そして、もうひとつ。
ありあわせの画用紙と古い御絵、おみやげのメダイを使ったミニカード。
これは色々な場面で活躍するプレゼントアイテム。
金色のリボンもお菓子の包装に使われていたものの再利用。
安上がりな上に簡単に作れる。
見栄えもそう悪くはないので、量産すればバザーにも出せそうな自信作である。
Sr.ぱうろ
- 祈
- | comment(4)
大阪城公園にて
- 2009/02/26(木) 09:05:05
私は関東出身なので関西の地理や観光地をあまり知らない。
こちらに移住してから5年になるが、何故か大阪城には入ったことがなかった。
玉造(たまつくり)にあるカテドラルに行く時、遠くから見るだけ。
先日、梅を見に行こうという話になり、
志願者たちと元気なシスターとで大阪城公園を散策。
日本に来たばかりの外国人志願者と修練者を連れて、
夢にまで見た大阪城天守閣に登ってみた。
展望台から屋根の鯱鉾を撮影↓してみたり、
はるか遠くに梅田にある観覧車を発見したりして、わくわくする。
展示室には黄金の茶室(復元)や、教科書でよく見る「お市の方」の肖像もあり、見ごたえがあった。
外国人の志願者には兜が面白かったらしい。
その兜や陣羽織、小袖などを着せてくれるコーナーなどもあった。
もし、ベールを被っていなかったら、ちょっとやってみたかったかもしれない。
日曜日とあって、いろいろな大道芸人や犬の散歩をする人、
梅の下で宴会をするグループなど、出会う人々もバラエティー豊かで面白い。
よく慣れたインコを連れて、通りかかる人に写真を撮らせている人も発見。
ちゃっかり撮った写真がこちら。↓
花と小鳥って、とても絵になる。
どちらも神様の作品。
「空の鳥を見よ、野の花を見よ」というイエスの声が聞こえてきそうだ。
Sr.ぱうろ
いよいよ・・・
- 2009/02/24(火) 09:29:21
明日は灰の水曜日。
四旬節がはじまる。
明日は大小斎で、食事は限りなく質素に貧しく頂く。
そして四旬節中、日曜祝日以外は食事の時のお茶は無し。
(白湯を飲む。)
朝食時と夕食後は沈黙。
・・・そんな感じで私たちもわずかながらイエス様の受難に与る。
だから今夜の夕食はチキンのハーブ焼きを作ってプチ謝肉祭のつもり。
Sr.ぱうろ
身辺整理
- 2009/02/21(土) 08:50:23
四月からの新生活に向けて身辺整理を始めた。
私達は転勤族なので、荷物は少ないに限る。
しかし・・・。
私自身が異動しないので、つい自分に甘えが出てしまう。
部屋中を掃除して、やっとダンボール一個分くらいの不要品を排出。
二年間の大学生活でたまった資料は再度目を通して、
不要かつ裏が白いものはコピー用orメモ用紙にする。
傷んだ布製品は掃除用にするべくカット。
これは修練院で覚えたワザ。
当時の修練長が古い寝巻きを小さく切って、台所の油拭きにしていたのだ。
柔らかい布は鏡や窓を拭くのにもちょうど良い。
可能な限りリサイクル。
これもシスターの習性のひとつらしい。
Sr.ぱうろ
修練準備
- 2009/02/19(木) 08:48:00
着衣式(修練に入る前に修道服を着る式)を前にした志願者がベールを縫い始めた。
我が家のベールは本体とひさし(プラスチックの板を白い布でくるんだもの。布張りのカチューシャといった感じ)で出来ている。
修練期の前には自力でこれらを作らなければならない。
結構厄介な仕事だ。
縫い物の得意な人は楽しいらしいが、苦手な者にとっては修練期最初の試練となる。
ベールは四角い布を半分に折って二箇所を糸で留めただけという簡単な構造だが、それでも私には悪い夢のようだった。
修練者のベールは白い。花嫁の白。
これを見る人が見れば、すぐに修練者だと分かる。
ベールを被り、修道服を着ることによって己の立場を自覚する。
ベール作りは、花嫁衣裳を自作するようなものだ。
裁縫が辛くない人にはときめく時間らしい。
私は手縫いもミシンも下手なので、上手なシスターに手取り足取り指導して頂き、やっと仕上げた。
こんなに下手な私でも忍耐強く付き合って下さるのだから、やりとげなければ・・・と必死の思いだった。
しかし、出来上がったベールを被って鏡を見た私は、給食のおばさんを思い出したのだった。
Sr.ぱうろ
小細工
- 2009/02/15(日) 13:56:23
チョコレートの包み紙がキレイだったので、思い出してこんなものを作ってみた。
子供の頃、叔母だか父だか家族の誰かが作っていた紙の足付きグラス。
私の前で食事をしていたシスターが面白がったので、花好きの老シスターの前に飾ってみた。
以下、老シスターの反応。
「まあ、何これ!面白いわねえ。」
「誰が作ったのぉ?」
「ほら、ちょうど三つあるのよ。父と子と聖霊みたいねえ。」
「このようなもの。誰が作ったのぉ?」
・・・以下、振り出しに戻る・・・。
花が大好きで、食事のたびに花瓶の花に手を伸ばしたり、顔を近づけて眺めたりする老シスター。
それはとても絵になっていて微笑ましいのだが、手を伸ばされる花の方は大変だろう。
ということで、私たちは紙のグラスで注意を逸らそうとしたのだ。
作戦は大成功。
しかも
「父と子と聖霊」だなどとホーリーな連想までされ、思わぬ感動も頂いた。
でも所詮私の小細工は神様の作品には勝てない。
紙のグラスは3日で飽きられた。
そういうわけで、老シスターは今日も花瓶の花を見たり触ったりして愛でておられる。
Sr.ぱうろ
癒された人
- 2009/02/12(木) 09:50:48
一昨日、共同体でみことばの分かち合いをした。
2月15日(日)の朗読から。
福音箇所はマルコ1.40~45
重い皮膚病が癒される場面。
私はこの箇所が好きだ。
原文のニュアンスを活かしつつ訳すとこんな感じになる。
一人の重い皮膚病の患者がイエスの前に跪きながら、願って言うのには
「あなたがお望みになれば私を清くすることができます。」
イエスは内臓をえぐられるような憐れみを感じられ、
手を差し伸べその人に触れて言う。
「私は望む。清くなりなさい。」
当時、重い皮膚病の人は街の外で暮らさねばならなかった。
社会から見捨てられ、家族からも引き離された孤独な存在。
肉体のみならず心も深く傷ついている。
生きているのが嫌になることもあっただろう。
その苦しみを見たイエスは、内臓がえぐられるほどに心を揺さぶられた。
そして思わず病人の体に手を伸ばして触れた。
心の奥からは
「私はあなたが癒されることを望む」という言葉が流れ出た。
イエスが望めば癒されると信じた病人と、その人の癒しを心から望んだイエス。
そこに奇跡が起こった。
その後、癒された病人はかたく口止めされたのにこのことを言いふらしてしまう。
そして多くの人がイエスのもとに殺到した。
なんだかイエスさまには気の毒な感じがするが、
彼は黙っていられなかったのだろう。
自分の身に起こったことが嬉しくて嬉しくて、
「イエス様は素晴らしい!」
と告げ知らせずにはいられない。
宣教の原点はこんなものではないかと思う。
Sr.ぱうろ
ルルドの聖母
- 2009/02/11(水) 09:45:46
今日はルルドの聖母の日。
世界病者の日でもある。
この日はいつも、箕面修道院からガラシア病院のルルドまでろうそく行列が行われる。
夕方薄暗い中を「あめのきさき(ルルドのアヴェ・マリア)」を歌いながら歩く。
季節が季節だけに寒い。
その中で揺れるろうそくの火はとても幻想的だ。
寒くて暗くて心細い時間帯。
でも共に歩く仲間があり、小さいながらも足元を照らす光がある。
苦しみの中にひっそり灯る希望のように。
昨日、40日ぶりに台所に立った。
二本の足で立てること。
杖も不要で、両手が自由に使えて、時には走れること。
長時間の立ち仕事が出来ること。
皆、不思議なことに思える。
今まで当たり前だと思っていたけれど、実は不思議でありがたいこと。
折れた骨が再生し、青黒く腫れた足がもとの大きさに戻ることは、
病院では日常的に起こっていることだけれど、これも奇跡だと思う。
私は何もしていないのに、医師もギプスを巻いただけなのに、それでも足は回復に向かう。
ここには確かに神の力が働いていると思う。
神の力を待っているたくさんの人のために、聖母のとりつぎを願う。
今日はそういう日。
Sr.ぱうろ
- 祈
- | comment(2)
卒業論文
- 2009/02/08(日) 13:02:19
ついに大学での勉強が終了した。
卒業論文の口頭試問も無事に終わり、後は成績発表と卒業式を待つばかり。
とてもありがたい二年間を過ごさせて頂いた。
卒業論文は必修では無かったから、実は途中で投げ出したくなることもあった。
書き終えることが出来たのは、几帳面で厳しいけれど愛情深い指導教官に恵まれたおかげ。
なにしろ厳しいから、教育実習を見に来られた日には緊張のあまり硬直してしまったが、的確な指導のおかげで、その後の授業は格段に良くなった。
(教育実習時も卒論の指導教官が検分に来ることになっている。)
良薬は口に苦し。
それまでに散々しぼられていたお陰で、卒論の口頭試問は和やかに終わった。
ちなみにテーマは「修道生活」
自分自身の存在を問うテーマだったりする。
調べたことで印象に残ったのは
「修道者は『であること』が『すること』に優先する」という言葉。
何をする、しないという以上に修道者として存在することが重要だ・・・といったような意味。
私たちの創立者である田口枢機卿さまの言葉が今まで以上に心に染みた。
仕事は何もできなくてもいいから、いい修道者になってほしい。
Sr.ぱうろ
卒業
- 2009/02/03(火) 17:05:05
明日、松葉杖を卒業することになった。
思えば松葉杖ってよく出来てると思う。
こんなシンプルな構造なのに、
怪我人をしっかり支えてくれて、長さの調節もできる。
これ考えた人すごいなあ。
杖に巻かれた包帯はすっかり汚れて灰色になった。
一ヶ月間、どうもありがとう。
私が返却した後も、
松葉杖は新しい包帯を巻かれて、また他の人のお手伝いをする。
この杖を使う患者さんに神様の恵みが豊かにありますように。
そして、順調に回復しますように。
Sr.ぱうろ
- 祈
- | comment(2)
- | HOME |