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最後のレポート

  • 2009/01/31(土) 14:18:24

このところ怪我関係の話題ばかりだったケけれど、こうしている間にも学生生活は続いている。
今は試験期間の真っ最中で、レポートとテストがひとつづつ残っている。
卒業論文の口頭試問も無事に終わったので、とりあえず今年の三月で卒業出来るだろう。
とはいっても、せっかく大学に行かせて頂いたのだから、どれもこれもなるべく良い成績で終わらせたい。
で、その最後のレポートは、日本キリスト教史。
キリシタン時代のことを学ぶ時間で、レポートのテーマは講義で取り扱ったものなら何でもOK。
中浦ジュリアンファンの私としては、天正遣欧使節の関連で何か・・・と思ったが、ふとしたことからもう一つの遣欧使節にそそられた。

もう一つの遣欧使節・・・。
スポンサーは伊達政宗。
発案者はフランシスコ会士ルイス・ソテロ。
南蛮貿易と東北の司教区設立を賭けた一大プロジェクト。
天正の遣欧使節から遅れること約30年。
既に徳川家康が禁教令を出しており、キリシタンの運命も日本の政情も大揺れの時期だった。
しかし、政宗はこのために大きな船を造り、数多の人員と富を投じて送り出す。

この使節は天正の遣欧使節ほどの歓迎はされなかったし、帰国してみれば伊達政宗までもがキリシタンの弾圧側にまわっている。
使節の代表であった支倉常長(はせくらつねなが)は、謹慎を命じられたまま病死。
その息子は後にキリシタンとして殉教したという。
歴史の闇にひっそりと隠された出来事ながら、ここにはすごいドラマがある。

で、調べていたところ面白い本を見つけた。

太田尚樹著『ヨーロッパに消えたサムライたち』筑摩書房

このときに渡航した日本人の一部が彼の地に留まり、
今も「ハポン(日本)』という姓を名乗る子孫が居るのだという。
文章も読みやすいし、なにしろ内容が「へええええ!!!」の連続。
お薦めです。
さらに詳しいことはこちらをご覧ください。
著者太田尚樹さんのインタビュー記事です。
→http://www.athome-academy.jp/archive/history/0000000184_all.html

Sr.ぱうろ

松葉杖の友

  • 2009/01/30(金) 15:44:39

松葉杖で出歩くようになってから驚いたのは、
経験者がこぞって「使い方のコツ」を語りに来ることだ。
結構多い。
私の周囲の男性(司祭、学生、教授)は一人を除いて全員が松葉杖の経験者だった。
男の子にケガはつきものなんだなあと、妙に感心する。
まるで丈の足りない私の松葉杖を奪って実演してみせたのもふたりの男性。
(ひとりは学生、ひとりは教授!)
「なんで、そんなに下手なんやー?」
「懐かしいなあ。ほれ、わし(方言?)上手でしょ。」
松葉杖は大変だから、上手になると誇りたくなるのかもしれない。

私はと言えば、病院に行くと、思わず松葉杖の患者さんに注目してしまう。
たぶん、それはお互い様なので、病院の外で出会おうものなら、すっかりお友達モードだ。
すぐに
「お姉さんは、どこ怪我しはったんです?」
などという会話が始まる。
修道院内にも、つい最近まで松葉杖のお世話になっていた先輩が居て、
「なんだか私を見ているようだわ」と言われたりした。
松葉杖がこんなに連帯感(?)をもたらすものだとはびっくり・・・。

これは「怪我の功名」というものだろうか?

いや、それよりも、怪我を通していろいろな人と出会わせて下さった神様に感謝。

Sr.ぱうろ

ギブスをはずして・・・

  • 2009/01/25(日) 09:54:21

この三週間というもの、私の左足はずっとギブスで覆われていた。
汚い話で申し訳無いが、昨日、三週間ぶりに洗った左足には三週間分の垢がたまっていた。

すごいなあ・・・。

驚くやら呆れるやらだが、ふとリハビリの先生を思い出した。
リハビリが始まってから10日。
この間ずっと、あの先生は垢まみれの左足をマッサージして下さっていたのか・・・。
仕事とはいえ申し訳ない。
そしてありがたい。

大切なことを忘れていた。
私は病院でお世話になっている方々のために祈ることをしていなかった。
看護師さん方の優しい笑顔や声掛けにも、どんなに元気づけられたかしれない。

ちょうど今日は「パウロの回心」の祝日。
さあ、今からでもはじめよう。
私の闘病生活を温かく見守り、助けて下さっている方々のために祈ることを。

Sr.ぱうろ

もう一息

  • 2009/01/23(金) 11:14:43

病院で待っていたら松葉杖を返却に来た患者さんが三人も居た。
わたしより先輩な皆さん。
昨日までは両脇で体を支えていた松葉杖が、今日は二本揃えて腕に抱えられている。
両足をしっかり地につけて歩く様子が、なんだかまぶしい。
「うらやましい」と「おめでとう」の入り混じった気分になる。

でも、今日は私にも良いことがあった。

「明日、ギプスをはずしましょう」

そう言ってもらえたから。
ギプスがはずれても、すぐに普通の歩行が出来るわけではないだろうけれど、これで左足も地面におろせるのだ。
思わず顔を輝やかせた私を見て、年配の看護師さんが
「よかったわね」と言って下さった。

あともう少しの辛抱。
帰りに雨上がりのフェンスに輝く水滴を見た。
雨は冷たいけれど、上がるとこんなにきれいな景色が見える。
私自身の雨上がりも近い。

Sr.ぱうろ

怪我人生活その後

  • 2009/01/20(火) 11:05:23

松葉杖生活も二週間。
病院の看護士さんに
「上手になりましたねえ」と言われ、思わず顔がほころぶ。
初めの頃
「松葉杖に慣れる頃には治りますよ」と言われたことなども思い出して、ちょっとワクワクする。
思いがけない怪我人生活だが、学ぶことは多い。
屋外は本当に危険がいっぱいある。
枯葉で杖が滑ったこともあるし、雨に濡れたスロープで進めなくなったこともある。
今まで平地だと思っていた場所も、実は傾斜があって、足の不自由な人にはプチ難所だったりする。
鉄板は傾斜があっても無くてもちょっと怖い。
歩行中は両手が使えないので色々不自由だけど、杖でドアを押さえて出入りするワザも習得した。

松葉杖を見て絶望的な気分になった初日の私に見せてあげたい!

精神的な面でも、ハンデのある人や介護されている人の気持ちを味わう機会には事欠かない毎日。
修練期に老人保健施設で言われたことを思い出した。
「自分で出来ることは自分でやらせてあげなさい」
「この仕事は○○さん(利用者さんの名前)に手伝って貰って」
これは体の機能が衰えないようにという配慮だと思っていたけれど、実はそれだけではないことに気がついた。
「あれもこれも出来なくて、他人に迷惑をかけるばかり…」
と思う時は本当に情け無いが、
「これくらいは出来るし、こういうところでは誰かの役に立てる」
と思うと自分の存在意義を見出すことが出来る。
何事も一方通行はよくない。
与えるだけではなく頂くことも大切で、感謝されたら感謝することも必要なのだと思う。

Sr.ぱうろ

聖体拝領

  • 2009/01/14(水) 16:52:23

怪我をして初めて体験したことがたくさんある。
病人席(?)での聖体拝領もそのひとつ。
教会の一番前の列は足の悪い高齢者や怪我人の席で、
ここに座っている人は祭壇の前に行かなくても、
神父様の方から御聖体を持って来てくださるのだ。
大変ありがたい。
ある日はこの場所にも行かれず、修道院の中で御聖体を頂いたこともある。
院内の聖櫃から院長様の手を通しての聖体拝領は、見るのも初めてだった。

…感動した。

「いつもは、私が祭壇の前まで行っていました。
でも、私が行かれない時はイエス様の方から来て下さるのですね…。」
そう思ったら、ありがたさとうれしさとで泣けてしまった。
こんなに感動した聖体拝領は久しぶりだった。

Sr.ぱうろ

初骨折

  • 2009/01/10(土) 10:34:11

ちょっとした不注意で骨折した。
新年早々松葉杖デビュー。

はじめての松葉杖は思った以上にしんどい。
両手がふさがっているので、立った状態での動作が困難。
その上、元気な足は怪我をした足の分まで体重を支えなければならず、
大変な負担を強いられている。
さらに杖をつく両腕も歩むたびに体を持ち上げることになる。

正直なところ、ギブスと松葉杖がうらめしくなったりした。
思えば、はじめに外科に向かったときは普通に歩いてでかけたのだ。
痛みは大したことなく、一部を動かさないようにすれば気にならない程度だった。
それが左足の骨に小さな亀裂が見つかり、いきなりギブスに松葉杖。
これさえなければ・・・。

でも、聖堂の高齢者&怪我人席に座って杖を眺めているうちに考えをあらためた。
今の自分はこの杖のおかげで移動することが出来る。
ギブスだって痛めた骨を守り、回復を助けるためのもの。
恨むなんて罰当たりだと。
それに健康な両手と右足のおかげで、不自由ながらも生活することが出来る。
ありがとう。

ミサに行くとき、歩みの遅い私を老シスターが寒空の下で気遣いながら待っていてくれた。
普段はとても寒がりなのに・・・。
それに食事のたびに気遣ってくれ、私の分までお茶を入れてくれるもう一人の老シスター。
華奢なおばあちゃんに
「ほら、私につかまりなさい」なんて言われても、
到底お言葉に甘えることは出来ないけれど、気持ちは涙が出るほどうれしい。

しばらく、共同体には迷惑をかけることになるけれど、
この不自由さを捧げ、今しか学べないことをたくさん吸収しよう。
色々なことが不自由になったが、祈る時間だけは倍増した。
その時間で私を支えてくれる共同体のため、
もっと困難な生活を強いられている方々のために祈る。
これが今私に与えられた勤めだと思うから。

Sr.ぱうろ

駅伝

  • 2009/01/04(日) 13:20:30

2日、3日とテレビで箱根駅伝を見た。  

私は箱根駅伝が好きだ。
長時間だからずーっと見続けることは難しいし、
毎年見られるとも限らないけれど、
出来たら3区、8区のあたりは見たい。
ここ、戸塚から平塚までのコースは私の地元で、
見慣れた海岸線や母校付近の道路が出る。

駅伝の何が良いって、皆の思いがひとつになっている感じがたまらない。
走っている選手は一人だけれど、そこまで襷(たすき)を運んできた仲間が居て、
先には彼を待っている仲間が居る。
さらに給水のために沿道で待機している仲間や、
後ろから励ましの声をかけ続ける監督、
ゴール地点でタオルを用意している仲間etc etc。
とにかく沢山の人の想いがつながれてゆく。

最初に出遅れたとしても、途中での逆転がいくらでも可能なところが良い。
そんな感じで、抜きつ抜かれつの展開に歓声をあげ、
無事、次の選手にバトンタッチ出来ればほっとし、
途中棄権をせざるを得なかった選手の悔し涙を見て貰い泣きをし、
苦しげな選手を見れば、テレビに向かって思わず励ましの声をかけてしまう。
一人につき20キロ以上のコースだから、完走するだけでも素晴らしい。

駅伝は人生のドラマに似ている。
今、苦しくてもいつか逆転のチャンスが来るかもしれない。
また自分のところではパッとしなくても、誠実に役割を果たして行けば、
次の人が盛り上げてくれることもある。
目の前で結果が出なくても、がっかりする必要はないのだ。

選手の皆さん、感動をありがとう!
来年もがんばってください。

Sr.ぱうろ

お正月

  • 2009/01/03(土) 09:56:38

新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
m(_ _)m

年末年始、修道院は人が減る。
帰省や黙想で現在4名の姉妹がお留守中。
それでも8人も残っているところが大家族のすごさ。
で、残っているメンバーでせっせと作ったおせち料理を頂き、
お正月
お正月らしい遊びをし、ちらっと箱根駅伝を見る。
修道院の中にも普通の日本のお正月がある。

普通と違うのはとにかく家族が多いこと。
ババ抜きをしてもなかなか終わらないし、
かるた取りをしても異様に盛り上がるしで、
親戚が集まった「おばあちゃんち」の雰囲気に近い。
昨日は百人一首をしたが、ブラジル人の修練者が意外に健闘し、
「私は目がよく見えないから・・・」と言っていた老シスターが、
テーブルに目を寄せながらも、結構な数の札を奪っていった。
そして私の目の前を、もう一人の老シスターの手が
しゅっ!しゅっ!と伸びてゆき・・・。
かなりの数の歌を暗唱できる私を脅かす存在となった。
おばあちゃんシスターズ恐るべし。
今年もますます元気でいてください。

Sr.ぱうろ