FC2ブログ

お見送り

  • 2020/08/05(水) 21:00:00

私たちに「赦しの秘跡」を授けてくださっていた神父さまが亡くなった。
ガラシア病院に入院中も病棟から修道院へ来て下さった。
その時もかなりお加減が悪いようだったので、
ありがたいやら申し訳ないやら複雑な気持ちになったが、
それから10日もしないうちに旅立たれた。
聖ビアンネ司祭の記念日前日のことだ。

こんなに司祭らしい最期も無いと思う。
ぎりぎりまで司祭としての務めを果たされ、
司祭聖ビアンネに迎えられるかのように逝く。
(本当に聖人がお迎えにいらしたのかもしれない)

知らせを聞いてからずっとこの曲が頭から離れない。

司祭の心は救い主の心・・・
永遠(とわ)の司祭のあと行く司祭よ、
深き慈愛込めて羊守りたまえ。

とても優しい方だった。
ご遺体は安らかできれいなお顔をされていた。

どうか慈しみ深く私たちを導いてくださった神父様のご霊魂が、
永遠の喜びに満たされますように。


フォーレ作曲「レクイエム」より「天国にて」

人生いろいろ

  • 2019/08/19(月) 20:46:51

今年は訃報が多い。
今月もまた90代のシスターが旅立っていった。
通夜、葬儀では故人の経歴や思い出が出てくるが、
このシスターの思い出は
「英語であいさつ」と「編み物」らしい。

私はお元気な頃をよく知らないが、
老健の廊下で会うと何故か
「グッドモーニング」「カムヒヤー」などと声をかけられる。
これは他のシスターたちにとっても謎だったらしい。
どちらかというと英語とのつながりがピンと来ない雰囲気だったからだ。
通夜・葬儀にあたり、履歴書を見直したところ、
そのシスターはかつて進駐軍の施設で売店勤務をしていたのだという。
若いころの経験ってすごい・・・。

編み物に関しても私はこのシスターの作品を知らないが、
機械編みのセーターなどを作ってもらった人も多いらしい。
そういえば今よりももう少しお元気な頃
「今日の予定は何ですか」と聞いたところ、
「今日の予定は・・・編み物 !」と言われたことがあった。
その頃には既に認知症気味で、編み物はしていなかったのだが・・・。
シスターの作品、見てみたかったな。

年をとり、心身が天国に近づくと
若いころの経験や心の奥にしまっていたものなどが出てくるような気がする。
30年、40年の後、私は何を話し、何をしようとしているだろう。
そして通夜、葬儀ではどのような人生を語られるのだろう。
先輩方が旅立つたびに、そんなことを考える。

みこころの祭日に

  • 2019/06/30(日) 19:48:49

イエスのみこころの祭日、日付が変わって間もない時刻に、
またひとりの姉妹が天国に帰って行った。95歳。
まだこの前のお葬式から一カ月も経っていない。
元気なときにはマトリョーシカを思わせる、
ふくよかで丸い目が印象的なシスターだった。
園田修道院の受付に居て、話し出すと止まらない。
創立者との想い出もよく話して下さった。
お葬式の今日はどしゃぶりで、あれ、雨女???と思ったが、
何よりも「御心の祭日」に逝きたかったのだと思う。
棺の中の小さな姿を見たときはなんとも淋しい気持ちになったが、
今頃は天国の共同体で、先に逝った姉妹たちに迎えられているのだろう。

さて今年の御心の祭日、
私たちはいつもミサに来て下さる神父さまの金祝をお祝いする計画を立てていた。
本会には司祭に協力し、奉仕するという使命がある。
この世の私たちには見えないけれど
天国のシスターたちも一緒にお祝いしていらしたに違いない。

金祝のお祝いカード↓
お祝いカード

大往生

  • 2019/06/20(木) 20:37:54

本会で最高齢のシスターが天に召された。
御年103歳。
今のところ本会では一番の長寿で、
創立時代を知るシスターのひとり。
その上、初代の修道会長。

いろいろと一番なシスターだったが、
私が入会した時にはすでに御高齢で、
院内奉仕や祈りの日々を過ごされていた。

美しい花や空を見ては感嘆の声とともに創造主を賛美。
少女のように可愛らしい表情は、
たくさんのシャッターチャンスや話題を提供してくださった。

近年は寝たきりで老健のお世話になっていたが、
お元気な頃は、たびたびこのブログにも登場していらっしゃる。

紅葉好き
百合学院のクリスマスにて
小細工
体育の日

食卓の花を見るたびに
「このようなきれいな花、初めてみるわぁ」を繰り返し、
ひ孫くらいの若い志願者と卓球に興じ、
生徒たちの歌声につられて歌い・・・。

今頃は天国の共同体で、
きれいな高い声を響かせながら、御父を賛美していらっしゃることだろう。

春の旅立ち

  • 2019/02/23(土) 14:17:56

長年寝たきりだったシスターが天国に呼ばれた。
もう何年も施設でベッドの上の生活。
会話もおぼつかず、昼、夕は姉妹たちが交代で食事の介助に通っていた。
お迎えは突然で、その日は昼食もおやつもしっかり召しあがったのだという。

多くの人が自宅で過ごすことを望むように、
シスターも修道院に帰りたいと願われていた。
やっと帰ってきたお通夜の日は、創立者の帰天日前日だったので、
皆が集まって創立者のためのお祈りもあった。
シスターの棺が置かれた聖堂で祈りながら
「シスターはずっと皆と一緒に祈りたかったのだろうな」と思った。

我がガラシア会には小さいながらも美しいチャペルがある。
毎日曜日ミサがあるから、
病院や老人保健施設に入院入所していても、
希望すればミサに与ることが出来るし、
司祭や係のシスターが御聖体を運んでくれる。
けれども、共同体の姉妹たちと一緒に詩篇を唱和したり、
その歌声に心を合わせてともに歌う時間というのは別物だ。

そして今日、お葬式の日はそのシスターの修道名のお祝い日。
今日、帰天日を迎える創立者とともに、
シスターの守護の聖女が呼んで下さったのかもしれない。
シスターにとっては何年も何年も待ち焦がれたお迎えだったと思う。

梅や水仙、菜の花などが春の訪れを告げ、
温かな日差しの溢れる中、シスターは天国へと旅立って行った。