2018年御復活

  • 2018/04/01(日) 14:45:39

御復活おめでとうございます。
満開の桜の下、昨夜は美しい満月も見ることが出来ました。

夜桜と満月

この特別な日、新年度のスタートとも重なって、希望に心が弾みます。
受難を乗り越えて復活された主とともに、
私たちも新しい命を頂いて2018年度を歩むことができますように。


ひとりひとり自分の十字架を背負って・・・

  • 2018/03/27(火) 21:42:13

四旬節もいよいよ大詰め。
今週は聖週間で、まもなく受難と復活がやってくる。
今年は復活祭が4月1日、新年度のスタートと重なるため、
事務員は思い切り「受難」を味わっている。
ただでさえ多忙な年度末、新年度準備がさらに忙しい・・・。

そんな中、興味深いアニメーションを目にした。

人々がそれぞれ十字架を担いで歩いてゆく。
ところがそのうちの一人はなんとか楽をしようと考えて、
自分の十字架の下の方を削って短くしてしまった。
彼はしばらくは快適に歩いてゆくが、少しするとまたしても疲れて
今度は上下左右すべてを短く切り、小さな軽い十字架に改造した。

他の人が喘ぎ喘ぎ重い十字架を引きずって行くのを尻目に
彼は意気揚々と歩いて行くが、やがて崖っぷちに行きあたる。
大きな十字架を担いで来た人々は、
その十字架を向こう側へ倒し、橋にして渡って行く。
しかし小さく削られた十字架は崖の向こう側まで届かない。
そして彼の旅はそこで終わってしまった。
十字架はただの苦しみではなく、
実はさらなる困難を超えるために与えられた恵みだったのである。

「神は耐えられないような試練を与えることは無い」と聖パウロは書いたが、
「無意味な試練を与えることも無い」というのが、
そのアニメのメッセージであろうか。

あれから7年・・・

  • 2018/03/11(日) 16:55:23

東日本大震災から7年
今朝はミサの中でもお祈りしたけれど、
その時間、自治体の放送が始まり、思わず作業の手を止めた。
「震災で亡くなった方々への追悼のために1分間の黙祷をしましょう・・・」という
内容が風に乗って流れてくる。
ベランダ伝いに隣の部屋のシスターを呼んで、
サイレンの鳴っている間、一緒に空に向かって黙祷をした。

さて、こちらは叔母が昔作ったお地蔵さま。
大きい方が、小さい方に話しかけているような様子は、
姉が妹を気遣っているようで、ほほえましい。

お地蔵さま

私は小さい頃からお地蔵さまが好きだった。
お地蔵さまは丸くて、おだやかな表情をしている。
大きくなってから知ったこと、
お地蔵さまはあの世で苦しむ魂を救ってくださるらしい。

たくさんの方が突然に亡くなった。
この世に様々な思いを残された方もいらっしゃるだろう。
突然の別れを受け入れられずに居る方も、
未だ不自由な生活を続けられている方もいらっしゃる。

その全ての方の上に、慰めと必要な助けとが限りなくありますように。

世界病者の日

  • 2018/02/11(日) 11:17:43

今日はカトリック教会では世界病者の日。

ルルドに聖母がご出現になった記念の日でもある。

今年は日曜日にあたり、ガラシア病院でミサがある日。

たまたま当番に当たっていたので、奉仕してきた。


病院ではミサの前に、聖堂に来られない患者さんのところに

神父さまが「御聖体」を届けにいらっしゃる。

奉仕者が一緒についてゆくのだが、

季節がらか今日はたくさんの信者さんが病室で待っていらした。


ふと自分が足を怪我してミサに行かれなかった時のことを思い出す。

その時は院長のシスターが「御聖体」を授けてくださった。

いつもは自分が拝領の列に並んで頂きに行くけれど、

私が歩けない時にはイエス様の方から来てくださるのかと、

とても感動して泣いてしまった。


今日、ある方はベッドの上から神父様の姿を見て、

ぱっちりと目を開き、しっかりとした声でうれしそうに

「主の祈り」を唱え、「御聖体」を受けられた。

信仰を持たない人にとっては小さなウエハースに過ぎない。

けれども信仰の目で見ると、大きな助けや慰めが与えられる。


御聖体のイエス様は、一人ひとりに特別なメッセージを送ってくださっている。

ピーマン的な・・・???

  • 2018/01/24(水) 20:00:28

友人に「キリスト教入門講座」を紹介した。
ついでに自分も聴講してきた。
神父さまの話はテンポが良く、分かりやすくて、
びっくりするほど引き出しが豊かで心に響く。

その中に故渡辺和子シスターの講演の分かち合いがあった。
渡辺シスターは開口一番
「私はピーマンが嫌いです」とおっしゃったのだという。
「私はピーマンが嫌いです。
でも、ピーマンの栄養価の高さや、緑の色の美しさ、
値段の安さなどは認めないわけにいきません。」

何が言いたいのか。

「私にもピーマン的な人が居ます」

さすが・・・。

多くの人は嫌いな人の良いところを認めようとしない。
仲良しの友人がすれば称賛するようなことを
嫌いな人がしたら「それがどうした」とか「何か下心があるんでしょ」などと、
ネガティブにとらえがち。

でも、どんなに嫌いな人でも良いところは良いと認めることが
「愛し、赦す」ことの一歩であろう。
「愛」は好き嫌いを超えたところにある。
以前、ある大先輩のシスターが
「嫌いな人でも愛することは出来ます」とおっしゃった。
「愛する」とは「大切にする」こと。
嫌いな人でも大切にすることは出来る。
実行するのは、口で言うほど簡単では無いけれど。