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私たちにできること

  • 2022/11/13(日) 22:03:11

本日、久しぶりの研修会。
カトリック大阪大司教区の社会活動センターから講師をお招きして、
日本の技能実習生の状況についてお話しいただいた。
少子高齢化の日本には滞日外国人の方々の力が不可欠。
にもかかわらず差別や不当な労働で苦しんでいる方々がたくさんいらっしゃる。
まずは「知る」ということが大切なのだと学ばされた。
その中で手始めに「署名活動」という協力が提案されたので、
早速実行してみた。

在留特別許可嘆願署名キャンペーン

全国の司教様方がこのキャンペーンに取り組んでいらっしゃり、
司教様おひとりお一人の動画メッセージがある。
17人分全部を載せるのは大変なので、
大阪教区の補佐司教様の動画をシェア。
(上記のリンクから全司教様の動画が視聴できます)



司教様によって切り口は様々。
英語やスペイン語でメッセージを発信されている方もあり、
教会の豊かさを感じた。

マリア様とふたりの脱獄囚

  • 2021/09/12(日) 10:45:07

少し前の休憩時間に
「俺たちは天使じゃない」という映画のDVDを見た。

俺たちは天使じゃない

2人の脱獄囚が著名な神父と間違われ、
そのまま地元の修道院の客となる。
その修道院には奇跡を起こすという
「悲しみのマリア」像があり、
折しも、そのお祭りが近づいている。
マリア様のおみこしについて橋を渡れば国境を越えられる。
国を出てしまえば脱獄囚として追われる心配はなくなるらしい。

脱獄囚とはいえ、彼らは愉快で憎めない人たちで、
物語は笑いとともに進む。
しかも笑うだけではなく心温まるシーンも満載。

2人のうち1人は、生きるために必死なシングルマザーに惹かれる。
彼がマリア様の前で自分を振り返り、とりなしを願う姿は感動的だった。
もう1人は修道院で過ごしているうちに、
「ずっとここに居たい」と思い始める。

そして物語のクライマックス
「悲しみのマリア」が奇跡を起こす。

もうすぐ9月15日。
「悲しみのマリア」の記念日がやってくる。
最愛の息子の痛ましい死を見つめたマリア。
悲しみを知っている人は、誰よりも優しい。

一難去って、また一難・・・

  • 2018/09/08(土) 13:54:39

このたびの台風、及び地震で被災された皆様、
心よりお見舞い申し上げます。
一日も早くライフラインが復旧し、
安心して暮らせる日が来ますようお祈りいたします。

・・・かくいう私たちも台風でそれなりに怖い思いをした。
職場の窓から外を見ると、とても日中とは思えない暗さ。
激しい風が吹きまくり、一時停電もあった。
やがて、
「どこどこの信号が停電しているらしい。」
「○○のあたりは断水もしている。」
「窓ガラスが割れて怪我をした」
などなど、身近な被災情報が聞こえてきた。
三日経っても電気が来ない所もあるらしく、
オール電化のお宅などは大変そうだった。

それやこれやを考えると我が家の被災はマシな方。
ベランダには折れた枝や葉とともに毛虫が飛ばされてきていたが、
彼らも怖かったことだろう。
・・・と言っているそばから北海道では大地震。

どうなっているのか。
こうなると災害の無い日常の方が特別な気がしてくる。
災害が起こることを前提にしたライフスタイルを作っていく必要がありそうだ。
以前もご紹介した東京都発行の防災本がなかなか良い。
少しずつでも始めてゆこう…。

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帰省

  • 2017/09/25(月) 20:23:04

一週間、帰省をさせていただいた。
私は物心ついたとき東京に居て、小学校低学年の時に神奈川県に引っ越した。
修道会に入るまでずっとそこに住んでいたので、言葉も感性も関東人。
だから関西の言葉や食べ物は時に新鮮で、時にとまどう。
帰省すると、めいっぱい友人や恩人と面会し、
かつて生活した場所を歩きまわる。

今回は大学のゼミの教授や仲間と会い、ついでに母校を見学した。
母校は自分たちが通っていた頃とは様々変わっていた。
当たり前だが時間の流れを感じてしまう。
友人たちもそれぞれ仕事のキャリアを重ねたり、
家庭を持ったりして、貫禄を増している。
小さい頃に住んでいた東京の町は、当時より狭く感じた。
昔からある店も少しだけ残っていたが、変化の方が多い。

実家に置いてきた古いアルバムの中には、はるか昔の若い自分が居た。
ずいぶん色々なところに行った。
あっちにもこっちにも様々な友人が出来た。
今も仲良しな人、疎遠になった人。
懐かしいけれども帰れない。
修道会入会とともに関西に移住して13年。
私の家は修道院で、家族は修道会の姉妹たちなのだと、帰省するたびに思う。

茶室の教え

  • 2016/02/04(木) 21:25:24

このたびユスト高山右近の列福が正式に発表された。
高山右近といえば、茶人としても名高い。
千利休の七哲と呼ばれる高弟の一人。

私は大学時代から修道会に入会するまで、
かなり長い期間、裏千家の茶道を習っていた。
今は茶室に座る機会がほとんど無いけれど、
高山右近が囁いているのかどうか、
この頃、茶室で教えられたことがよく思い出される。

その中に
「軽い道具は重いもののように、重い道具は軽いもののように扱いなさい」
というものがあった。
つまり茶せんとか茶杓とかは重々しく、
茶釜や水差しは軽々と持ち運ぶということ。
今思うと、それは単に道具のことだけでは無かったのだと思う。

簡単なことを慎重に丁寧に行い、
難しいことをいとも軽々とやって見せることが茶人の生き様では無かったか。
小さなこともおろそかにせず、大変な時に不満も苦悩も感じさせない。
なんと美しい、なんと粋な生き方であろうか。

高山右近の生涯を紹介するDVDの中で、こんなような言葉が紹介されていた。
「右近殿にとって地位や身分を捨てることは、大したことではないように見えます」
大したことではないように見えた・・・。
実際は大したことだったであろう。
しかし困難を困難と思わせないところが、
信仰者であり茶人である右近の偉大さなのだと思う。