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読書の秋

  • 2020/09/18(金) 22:43:35

あんなに暑かった夏もいつしか終わり、
朝夕は風が涼しい。
夜は虫の音が子守唄。

秋といえば
スポーツや芸術や様々な文化活動の季節。
例年であれば今頃、故郷へ帰省している。
残念ながら今はコロナ禍。
事務員とはいえ医療業で働く身としては
感染リスクのある行動は極力避けねばならない。

というわけで今年は読書の秋をすることにした。
職場の仲間と手持ちの本を貸し借りしたり、
以前読んだ本を再読したり・・・。
新しい本もたまに入手する。

様々なことがデジタル化している現代にあっても
紙の本が好きだ。
小説、エッセイ、実用書・・・。
本を通じてあらゆる場所へ行くことができる。
時には時空も超えてしまう。

本は人類の偉大な発明の一つだと思う。

さて、次はどこへ行こうか・・・。

私にとっての修道召命/Sr.ラファエラ

  • 2020/08/29(土) 14:28:13

「私を何かに例えるなら“小さな石ころ”」私は自分のことをそう思っている。
それは、ある神父様から聞いた講話がきっかけ。
主イエスが40日間の荒れ野での生活で空腹を覚えられた時、
誘惑する者が近づいてきて
「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」と言った。
この石は期待に胸を膨らませた。
(今こそ石である私がイエスの空腹を満たせるパンになれる!)と。
しかし、イエスはお答えになった。
「人はパンだけで生きるものではない」
お馴染みの聖書の一説だが、
石の気持ちに焦点があてられた解説に新鮮な驚きを覚えた。
そして、その神父様はこのように話しを締めくくられた。
「こうして石は石のままであることで主に栄光を期しました」と。

初誓願の日からあっという間に21年が経って、
小さな石ころの私は
(主の空腹を満たせるパンにはなれないけれど、
何かしら主のために役に立てるものになりたい・・・)
と思い煩っていたことに気がついた。
(何かのしるしにどこかに置いてもらうとか?
地面に字を書く道具とか?ペーパーホルダーとか?)
そんなことを考える私に主は優しく語りかけてくださる。
「この小さな石ころのいいところはね、
わたしの手の中にすっぽり納まるってとこなんだよ。
いつもどこでもわたしと共にいるんだ」と。
ついつい何かの役に立つことばかりを考えてしまう私だけれど、
主の手の中で守られて温められて、
その主のぬくもりを伝える者になる。
そのような者として私は神に造られ、
そのような者の幸せを生きるようにと神に奉献生活へ招き入れられた。

光

全てのものの造り主である神は賛美されますように!

季節の変わり目

  • 2020/08/25(火) 20:55:20

暑さ激しい毎日ながら、
暦の上ではとっくに立秋が過ぎ、
日照時間が短くなってきた感がある。

この頃、よくこんな光景を目にする。

赤とんぼ

修道院の廊下の窓から外を見ると、
ほぼ毎日、赤とんぼが電線にとまっているのだ。
それも3~4匹が並んでいる。
(まとめて撮影すると背後の緑でよく見えないので写真は1匹だけ)

とんぼも電線に留まるのか・・・。
そしてもう赤とんぼの季節なのか・・・。

私たちが熱中症や新型ウイルスのニュースに嘆いている間も、
自然は淡々と次の季節へ歩き続けている。

聖母被昇天の祭日

  • 2020/08/15(土) 16:49:51

本日は聖母被昇天の祭日で本会の創立記念日。
数年前まではガラシア病院も休診だった。
(クリスマスも休診だった)
今は日曜日に重ならない限り外来診療があるので私も出勤。
すると、郵便を出しにポストに行った帰り、
ルルドの聖母像の脇に白百合が咲いていた!

マリア様と白百合1

マリア様と白百合2

今日は終戦記念日でもある。
聖母も戦争の犠牲になった方々に花を手向け、
祈っていらっしゃるのだろう。
全世界に平和が訪れるようにと・・・。


おまけ
本日の職員食堂で昼食に添えられていたというカード。
食堂のカード
(画像をクリックすると拡大されます)

75年めの夏に

  • 2020/08/10(月) 15:33:05

毎年カトリック教会は長崎の原爆記念日から終戦記念日までの10日間を
「平和旬間」として記念している。
今年は75年目という特別な節目。
今まで聴いたり学んだりしてきた戦争の記憶を
いつも以上に思いめぐらしている。

去年だか一昨年だかの終戦記念日、
高齢の2人の姉妹が「終戦の時にはどこでどうしていたか」と
語り合っていたことがある。
そのとき1人の姉妹が近くに居た私の方を向いて
「シスターはどこに居たの?」と聞いてきた。
「私、まだ生まれていません・・・」と、
その時は笑い話になったが、
考えてみたらそのまま生まれてこない可能性だってあったかもしれない。

父は少年時代に軍隊の経験がある。
直接聞いたことはないが、同世代の人と
「よく殴られたが、食べ物があるだけ良かった」と話していたことがある。
母からは
「戦中戦後はとにかく物が無かった。」とたびたび聞かされた。
食べ物が手に入らないので、祖母は庭に畑を作り、
慣れない農作業をしていたのだという。

もし父が戦死していたら、
母が餓死していたら私は生まれてこなかった。

今年、私たちはいつもと違う生活をしている。
そして今まで色々な面で恵まれていたことを知ることになった。
両親が経験した「戦時中の困難」は、今よりもっと大変だったことだろう。

普通の人のささやかな生活が脅かされる。
突然大切な人を失う。

この悲劇が二度と繰り返されないよう、
決して忘れてはならない出来事。