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十字架の道行

  • 2019/03/21(木) 08:50:43

四旬節も二週目に突入。
今年の御復活は4月21日だから、かなり遅い。
御復活が遅い年は春が来るのが遅いというけれど、
我が家の周辺では桜の蕾が着々と開花の準備を進めている。

さて四旬節といえば「十字架の道行」
別に四旬節でなくてもいいのだが、
先日、「十字架の道行」について信徒では無い方と話す機会があった。
その方のご自宅の近くにはカトリックの教会があり、
建物の美しさに惹かれて中を見学したときに、
「十字架の道行」に目がとまったらしい。
「あの壁にずらっと並んでいる絵は何でしょう・・・」と。

そう、これこれ。
これこそがカトリック教会のウリの一つだと思う。
絵や御像の数々は文字よりもストレートに目に入ってくるし、
何らかのメッセージを投げかけてくれる。
「十字架の道行」について説明しながら、
こんなことがきっかけで信仰を得る人もいらっしゃるよね・・・と、
ひそかな期待を抱いた。


四旬節の聖歌

この石をパンに・・・

  • 2019/03/08(金) 21:04:17

今年も四旬節が始まった。
四旬節最初の主日、3月10日の福音は悪魔の誘惑。
昨日、その分かち合いをしていて心にとまったことがある。

40日の断食をして、イエスは空腹をおぼえられた。
そこへ悪魔がやってきて
「神の子なら、この石がパンなるように命じなさい」と言う。
イエスは「人はパンだけで生きるのではない。」と返すが、
これが我が身に起こった事だったらどうだろう。

おなかが空いてどうしようもないとき、
しかも周りに食べ物がないとき、
ここにあるこれが食べ物だったらいいのになあ・・・と思わないだろうか。
空腹に限らず、何か困難な状況にあるとき、
私はよく「これが○○だったらいいのになあ」と考えてしまう。
この仕事の山が宝の山に変わったらいいのに・・・とか。

上記の聖書については様々な解釈があるだろうけれど、
今回、私には
「困難から逃避せず、受け入ることで新たな力が与えられる」という
メッセージに思えた。

この後さらにふたつの誘惑に勝利して、イエスは宣教に出る。
それはやがて受難、復活へとつながってゆく。

春の旅立ち

  • 2019/02/23(土) 14:17:56

長年寝たきりだったシスターが天国に呼ばれた。
もう何年も施設でベッドの上の生活。
会話もおぼつかず、昼、夕は姉妹たちが交代で食事の介助に通っていた。
お迎えは突然で、その日は昼食もおやつもしっかり召しあがったのだという。

多くの人が自宅で過ごすことを望むように、
シスターも修道院に帰りたいと願われていた。
やっと帰ってきたお通夜の日は、創立者の帰天日前日だったので、
皆が集まって創立者のためのお祈りもあった。
シスターの棺が置かれた聖堂で祈りながら
「シスターはずっと皆と一緒に祈りたかったのだろうな」と思った。

我がガラシア会には小さいながらも美しいチャペルがある。
毎日曜日ミサがあるから、
病院や老人保健施設に入院入所していても、
希望すればミサに与ることが出来るし、
司祭や係のシスターが御聖体を運んでくれる。
けれども、共同体の姉妹たちと一緒に詩篇を唱和したり、
その歌声に心を合わせてともに歌う時間というのは別物だ。

そして今日、お葬式の日はそのシスターの修道名のお祝い日。
今日、帰天日を迎える創立者とともに、
シスターの守護の聖女が呼んで下さったのかもしれない。
シスターにとっては何年も何年も待ち焦がれたお迎えだったと思う。

梅や水仙、菜の花などが春の訪れを告げ、
温かな日差しの溢れる中、シスターは天国へと旅立って行った。

主の奉献

  • 2019/02/03(日) 10:44:17

2月2日は「主の奉献」の祝日。
主が神殿に捧げられた(日本でいうお宮参りのようなもの?)ことを
祝う日であると同時に、神に奉献する生活に招かれた者にとって
志を確認する日でもある。
毎年、この日は特別に祈りの時間を設ける。
過去の写真を見ると毎回同じ儀式が行われているのだが、
一人ひとりが小さなろうそくを捧げた祭壇は、
何回見ても美しく、様々な願いを込めた捧げものに心が弾む。

ろうそくに火をつけて祭壇に捧げる姉妹たち↓
奉献の日

思えば洗礼式の時にもろうそくに火を灯して受け取った。
「世の光となるように」
昨年見た映画「パウロ」の中にも
「この絶望の街で私たちは唯一の光」
と訴えるキリスト信者の女性が描かれていた。

小さな光でも周囲の誰かに希望の光を与える存在となれれば幸い。

祈りの中で流された曲
「誰が主の愛から私たちを引き離すことが出来ようか」↓

召命の不思議

  • 2019/01/26(土) 16:03:40

昨日は「パウロの回心の祝日」
考えてみると不思議な召命の記念日だ。
パウロはキリスト教徒を迫害に行くところだったのに、
迫害するはずのキリストに捉えられて使徒となった。
ミイラ取りがミイラになる・・・というのは、こういうことか???

先日、長らく独身だった友人が結婚した。
彼女もまた「召命って不思議」だという。
修道召命の感じでもなく、
ずっと独りかと思っていたのに・・・と。

神様の計画というのは私たちの予想を超えている。
ときにびっくりさせられるけれど、
最終的にその人の人生のベストな状態へと導かれるように思う。
パウロはこの後、困難に満ちた波乱の生涯を送るが、
多くの実りを得、それが今の私たちの信仰へと受け継がれている。
殉教で終わった彼の生涯を称えることはあっても、
気の毒に思う人には会ったことが無い。

遅まきながら、喜びに輝く友人の花嫁姿に、
生涯の幸福を心から祈る。